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【銀閣寺(東山慈照寺)】落ち目の8代将軍・足利義政が簒奪品で造園した

◎室町幕府第8代将軍・足利義政の山荘だった。◎創建当時から残っているのは「銀閣」と「東求堂」だけ。◎入って目立つ白い巨大プリン「向月台」と波状に整形された白砂「銀沙灘」は江戸時代に作られたもの。◎「銀閣」といわれはじめたのは江戸時代から。◎庭巡りも楽しい。◎西芳寺庭園を模

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【八坂の塔(法観寺)】八坂神社と共通の神を祀る

◎法観寺の境内にある五重塔◎聖徳太子の創建ともいわれる◎法観寺は八坂神社と共通の祇園の神を祀っているゆかりの人物:聖徳太子(創建と伝えられる)、足利義教(五重塔再建)創建:飛鳥時代(言い伝え)法観寺は八坂神社と共通点がある法観寺の五重塔は八

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【三十三間堂】千体の千手観音。栄華を誇る平清盛が後白河上皇に寄進。

◎三十三間の三十三は観音が変化した数◎千体千手観音立像。千のわけは「多いほうがいい」から。ゆかりの人物:平清盛(寄進)、後白河上皇創建:平安時代三十三間堂の三十三の意味は?三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は通称で、正式名は蓮華王院という寺院だ。

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【清水寺】坂上田村麻呂が創建。崖の上に建てられている。

◎崖の上にある◎坂上田村麻呂が創建◎「清水」のいわれは境内下にある「音羽の滝」◎紫式部も参拝。清少納言『枕草子』に記述あり。ゆかりの人物:坂上田村麻呂(創建)、延鎮(えんちん)上人(開山)創建:平安時代清水寺が崖の上に建っている理由清水

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【伏見稲荷大社】鳥居、キツネ、お塚がたくさん。その理由。

◎鳥居の"トンネル"がある。◎全国30,000の神社の総本宮。◎キツネ像と「お塚」が数多くある。ゆかりの人物:秦氏創建:奈良時代と考えられている伏見稲荷にはなぜあんなに多くの鳥居があるのか。伏見稲荷(ふしみいなり)といえばぎっしりと並べられた鳥

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【金地院 南禅寺塔頭】徳川永遠を祈念する小堀遠州作「鶴亀の庭」

◎「黒衣の宰相」以心崇伝の寺◎小堀遠州作「鶴亀の庭」。家康を拝するための庭。◎徳川家康の遺髪が祀られている東照宮がある。◎長谷川等伯の画「猿猴捉月図 老松」が有名。猿猴は手長猿のこと。ゆかりの人物:以心崇伝創建:江戸時代南禅寺塔頭(寺院群)

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【天授庵 南禅寺塔頭】枯山水庭園、池泉回遊式庭園両方が楽しめる贅沢。

◎枯山水庭園と池泉回遊式庭園の二つのタイプの庭園をみることができる。◎南禅寺を創建した住職大明国師を祀る寺。◎細川幽斎が再建。◎横井小楠の墓がある。ゆかりの人物:大明国師(南禅寺を創建)、細川幽斎創建:南北朝時代よく見るこの写真は、天授庵玄

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【大寧軒 南禅寺塔頭】茶道・薮内流家元、薮内家所有のお茶用の庭。三柱鳥居がある。

◎茶人による茶人のための庭。◎三柱鳥居がある。◎さまざまな燈籠がある。◎滝からの水が豊富ゆかりの人物:茶人・藪内紹智創建:明治時代大寧軒は庭に特化。そのわけは。南禅寺塔頭の一つに「大寧院」があった。大寧院は明治初期の廃仏毀釈によって

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【醍醐寺】1 比叡山延暦寺をもしのぐ巨大寺院

◎醍醐天皇の名前となった◎「鎌倉幕府vs後醍醐天皇」で後醍醐天皇をバックアップした◎後醍醐天皇に敵対する足利尊氏も支援したゆかりの人物:聖法(創建)、醍醐天皇(勅願寺に指定)、後醍醐天皇(支援をうける)、足利尊氏(正統性を保証される)、豊臣秀吉(醍醐の花見を開催す

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【醍醐寺】3 豊臣秀吉、醍醐の花見。醍醐寺と秀吉の関係は?

◎醍醐寺は平安時代から「桜会」が有名だった◎醍醐寺三宝院の座主・義演は、秀吉が関白になるのを助けた◎ねね、茶々、侍女らを女人禁制の上醍醐に招いた◎花見会場の設営などなど景気対策でもあったゆかりの人物:豊臣秀吉、義演(三宝院座主)醍醐寺は、豊臣秀

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【醍醐寺】4 上醍醐・下醍醐の壮大な仏教施設。醍醐水、薬師如来、五大明王

◎山の上の上醍醐と麓の下醍醐がある◎五重塔がある。京都で一番古い木造建築物◎醍醐水がある◎醍醐寺の中心的な寺院・三宝院があるゆかりの人物:聖法上人(しょうぼうしょうにん 創建)創建:平安時代醍醐寺を創建したのは聖法上人。聖法上人は山岳で修業

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【醍醐寺】5 三宝院と庭園 秀吉は完成をみずに亡くなった[全部のせ]の豪華庭園

◎日本一有名な藤戸石がメイン◎枯山水あり、池泉あり、蓬莱山あり、鶴島亀島あり、橋あり・・・。日本の庭園の要素がてんこもり。ゆかりの人物:義演(安土桃山時代の三宝院座主)、豊臣秀吉(スポンサー&基本設計)創建:平安時代豊臣秀吉が義演に恩返しした豪

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【養源院】血天井 関ケ原の前哨戦。伏見城の戦いでの徳川家康忠臣・鳥居元忠らの戦いの跡

◎「豊臣家」と「徳川家」和合の寺◎茶々〔豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の母。淀殿〕が父・浅井長政のために建立した。◎茶々の妹・お江が再建した。◎血天井がある。◎俵屋宗達の絵がある。ゆかりの人物:茶々(創建を願う)、浅井長政(養源院は長政の戒名)、お江(再建)

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【高台寺】ねねの寺。ライトアップがきれい

◎豊臣秀吉の妻・ねねが秀吉を弔い養母と自らの墓として開いた寺。◎茶を好んだねねが茶会を開いていたと考えられる茶室「傘亭」「時雨亭」がみどころ。◎「高台寺蒔絵」は斬新で華麗な蒔絵がほどこされた調度品。◎平成元年からの一般公開仕様に修復。観光客フレンドリーな寺院。

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【詩仙堂】狩野探幽筆の三十六歌仙の肖像画 刈り込まれたツツジ ししおどしは庭にとりいれた初めてのケース

◎石川丈山作◎三十六歌仙の肖像画が掲げられている◎僧都(ししおどし)を庭においた初。◎中国風庭園ゆかりの人物:石川丈山創建:江戸時代石川丈山とは誰?武士から詩人へ石川丈山は個人で詩仙堂(しせんどう)を建築した詩人。石川丈山は歴史

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【六波羅蜜寺】空也像、平清盛坐像が有名。六波羅蜜の意味とは?

◎空也上人立像がある◎平清盛坐像がある。◎六波羅探題があった。ゆかりの人物:空也(創建)、平家(本拠地)創建:平安時代(951年)空也上人が六波羅蜜寺を建てた空也上人って誰? なにをしたの?空也上人は、平安時代の僧侶。際立って伝

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【六道珍皇寺】小野篁、閻魔庁官僚伝説

◎「あの世」と「この世」の境目に位置している◎小野篁伝説がある。ゆかりの人物:慶俊僧都(きょうしゅんそうず。開祖。弘法大師の師)、小野篁創建:平安時代珍皇寺は六道世界の入り口六道珍皇寺は、建てられている位置に意味がある。六道珍皇寺(ろくどう

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【平安神宮】平安京をモチーフとしたテーマパーク。大鳥居がめじるし。「親楼閣の上に五つの子楼閣」が乗る白虎楼・蒼龍楼は必見!

◎平安京を約8分の5サイズで復元したもの。◎平安遷都1100年を記念して明治時代に創建された。◎時代祭りを主催するのは附属の平安講社。ゆかりの人物:桓武天皇(平安京へ遷都を行う。御祭神)、孝明天皇(江戸時代最後の天皇。幕末の混乱期に在位した。御祭神)創建:明治

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【泉涌寺】天皇家の菩提寺「御寺」となったのは武士が権力をもち劣勢な皇室の支柱となったから

◎天皇家代々の菩提寺「御寺」◎降り参道(くだりさんどう)。大門から仏殿への参道が下り坂◎釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏が安置されている◎聖観音(楊貴妃観音)像が安置されているゆかりの人物:俊芿律師(しゅんじょうりっし)(創建)、四条天皇(最初に泉涌寺で

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【雲龍院 泉涌寺別院】小さなみどころが多く観光客フレンドリー

◎泉涌寺の別院。◎「走り大黒天」、悟りの窓、蓮華の間など、観光客フレンドリーなみどころがある。ゆかりの人物:後光厳天皇(創建)創建:南北朝時代南北朝時代、北朝の天皇が帰依した北朝の天皇は泉涌寺に帰依していて、別院の雲龍院と龍華院を建立した。ここ

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【東福寺】東大寺の[東]、興福寺の[福]を合わせて東福寺。京都最大で最強の禅寺

◎通天橋は紅葉名所◎昭和の庭師による枯山水庭園「八相の庭」がある◎京都最大の大伽藍(寺院内寺院ほか施設)からなる◎京都五山第四位ゆかりの人物:九条道家(創建)、聖一国師(開山)、安国寺恵瓊(東福寺住職、秀吉側近)、文英清韓(東福寺住職、方広寺の鐘に「国家安康」

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【下鴨神社】賀茂じゃなくて鴨のほう

◎下カモ神社と上カモ神社は二つで一つ。南にある方。◎式年遷宮がある。◎紀元前からの歴史がある。◎参道は縄文時代から生き続ける森「糺(ただす)の森」。◎八咫烏(ヤタガラス)神話と密接なかかわり。◎30弱のミニ神社が集まっている。◎鴨長明が禰宜になりそこねた。◎葵祭で

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【建仁寺】京都最古の禅寺。茶道発祥の寺。風神雷神図屏風(国宝)を所蔵している。

◎京都最古の禅寺。◎京都五山第三位。◎栄西が建立。◎栄西は茶道の祖。◎風神・雷神図屏風がある。ゆかりの人物:栄西(創建。1202年)、安国寺恵瓊(再建に貢献)創建:鎌倉時代建仁寺は栄西が建立した京都最古の禅寺栄西とはどのような人?