【銀閣寺(東山慈照寺)】落ち目の8代将軍・足利義政が簒奪品で造園した
◎室町幕府第8代将軍・足利義政の山荘だった。◎創建当時から残っているのは「銀閣」と「東求堂」だけ。◎入って目立つ白い巨大プリン「向月台」と波状に整形された白砂「銀沙灘」は江戸時代に作られたもの。◎「銀閣」といわれはじめたのは江戸時代から。◎庭巡りも楽しい。◎西芳寺庭園を模
◎室町幕府第8代将軍・足利義政の山荘だった。◎創建当時から残っているのは「銀閣」と「東求堂」だけ。◎入って目立つ白い巨大プリン「向月台」と波状に整形された白砂「銀沙灘」は江戸時代に作られたもの。◎「銀閣」といわれはじめたのは江戸時代から。◎庭巡りも楽しい。◎西芳寺庭園を模
◎疫病退散を担う神社◎祇園祭は八坂神社の祭礼ゆかりの人物:蘇民将来(そみんしょうらい)、牛頭天王(ごずてんのう)、スサノオノミコト。創建:飛鳥時代(656年)八坂神社(やさかじんじゃ)と祇園祭(ぎおんまつり)と疫病退散祇園祭は八坂神社の祭礼
◎法観寺の境内にある五重塔◎聖徳太子の創建ともいわれる◎法観寺は八坂神社と共通の祇園の神を祀っているゆかりの人物:聖徳太子(創建と伝えられる)、足利義教(五重塔再建)創建:飛鳥時代(言い伝え)法観寺は八坂神社と共通点がある法観寺の五重塔は八
◎三十三間の三十三は観音が変化した数◎千体千手観音立像。千のわけは「多いほうがいい」から。ゆかりの人物:平清盛(寄進)、後白河上皇創建:平安時代三十三間堂の三十三の意味は?三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は通称で、正式名は蓮華王院という寺院だ。
◎崖の上にある◎坂上田村麻呂が創建◎「清水」のいわれは境内下にある「音羽の滝」◎紫式部も参拝。清少納言『枕草子』に記述あり。ゆかりの人物:坂上田村麻呂(創建)、延鎮(えんちん)上人(開山)創建:平安時代清水寺が崖の上に建っている理由清水
◎鳥居の"トンネル"がある。◎全国30,000の神社の総本宮。◎キツネ像と「お塚」が数多くある。ゆかりの人物:秦氏創建:奈良時代と考えられている伏見稲荷にはなぜあんなに多くの鳥居があるのか。伏見稲荷(ふしみいなり)といえばぎっしりと並べられた鳥
◎石川五右衛門「絶景かな。」の三門が有名◎五山のさらに上の最高位◎皇室創建の禅宗寺院◎障壁画が傑作ぞろい◎小堀遠州の枯山水庭園ゆかりの人物:亀山法皇、以心崇伝(いしんすうでん)、徳川家康、藤堂高虎創建:鎌倉時代南禅寺三門といえば、石川五
◎「黒衣の宰相」以心崇伝の寺◎小堀遠州作「鶴亀の庭」。家康を拝するための庭。◎徳川家康の遺髪が祀られている東照宮がある。◎長谷川等伯の画「猿猴捉月図 老松」が有名。猿猴は手長猿のこと。ゆかりの人物:以心崇伝創建:江戸時代南禅寺塔頭(寺院群)
◎枯山水庭園と池泉回遊式庭園の二つのタイプの庭園をみることができる。◎南禅寺を創建した住職大明国師を祀る寺。◎細川幽斎が再建。◎横井小楠の墓がある。ゆかりの人物:大明国師(南禅寺を創建)、細川幽斎創建:南北朝時代よく見るこの写真は、天授庵玄
◎茶人による茶人のための庭。◎三柱鳥居がある。◎さまざまな燈籠がある。◎滝からの水が豊富ゆかりの人物:茶人・藪内紹智創建:明治時代大寧軒は庭に特化。そのわけは。南禅寺塔頭の一つに「大寧院」があった。大寧院は明治初期の廃仏毀釈によって
◎醍醐天皇の名前となった◎「鎌倉幕府vs後醍醐天皇」で後醍醐天皇をバックアップした◎後醍醐天皇に敵対する足利尊氏も支援したゆかりの人物:聖法(創建)、醍醐天皇(勅願寺に指定)、後醍醐天皇(支援をうける)、足利尊氏(正統性を保証される)、豊臣秀吉(醍醐の花見を開催す
◎醍醐天皇の名前となった◎「鎌倉幕府vs後醍醐天皇」で後醍醐天皇をバックアップした◎北朝の足利尊氏も支援したゆかりの人物:醍醐天皇(勅願寺に指定)、後醍醐天皇(支援をうける)、足利尊氏(正統性を保証される)創建:平安時代醍醐寺と醍醐天皇
◎醍醐寺は平安時代から「桜会」が有名だった◎醍醐寺三宝院の座主・義演は、秀吉が関白になるのを助けた◎ねね、茶々、侍女らを女人禁制の上醍醐に招いた◎花見会場の設営などなど景気対策でもあったゆかりの人物:豊臣秀吉、義演(三宝院座主)醍醐寺は、豊臣秀
◎山の上の上醍醐と麓の下醍醐がある◎五重塔がある。京都で一番古い木造建築物◎醍醐水がある◎醍醐寺の中心的な寺院・三宝院があるゆかりの人物:聖法上人(しょうぼうしょうにん 創建)創建:平安時代醍醐寺を創建したのは聖法上人。聖法上人は山岳で修業
◎日本一有名な藤戸石がメイン◎枯山水あり、池泉あり、蓬莱山あり、鶴島亀島あり、橋あり・・・。日本の庭園の要素がてんこもり。ゆかりの人物:義演(安土桃山時代の三宝院座主)、豊臣秀吉(スポンサー&基本設計)創建:平安時代豊臣秀吉が義演に恩返しした豪
◎民衆の仏教・浄土宗の総本山◎徳川幕府の「要塞」との見方も。◎日本三大梵鐘の鐘がある。◎豊臣秀吉の息子秀頼に嫁いだ2代将軍徳川秀忠の娘・千姫の墓がある。ゆかりの人物:法然、徳川家康創建:鎌倉時代知恩院は浄土宗の総本山浄土宗は民衆の宗教
◎「豊臣家」と「徳川家」和合の寺◎茶々〔豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の母。淀殿〕が父・浅井長政のために建立した。◎茶々の妹・お江が再建した。◎血天井がある。◎俵屋宗達の絵がある。ゆかりの人物:茶々(創建を願う)、浅井長政(養源院は長政の戒名)、お江(再建)
◎豊臣秀吉の妻・ねねが秀吉を弔い養母と自らの墓として開いた寺。◎茶を好んだねねが茶会を開いていたと考えられる茶室「傘亭」「時雨亭」がみどころ。◎「高台寺蒔絵」は斬新で華麗な蒔絵がほどこされた調度品。◎平成元年からの一般公開仕様に修復。観光客フレンドリーな寺院。
◎石川丈山作◎三十六歌仙の肖像画が掲げられている◎僧都(ししおどし)を庭においた初。◎中国風庭園ゆかりの人物:石川丈山創建:江戸時代石川丈山とは誰?武士から詩人へ石川丈山は個人で詩仙堂(しせんどう)を建築した詩人。石川丈山は歴史
◎「小さな桂離宮」◎門跡寺院(代々皇族一門が住職であった格の高い寺院)◎ヨーロッパ的建築方法が用いられている。ゆかりの人物:良尚法親王(りょうしょうほっしんのう)創建:現在の形になったのは江戸時代「小さな桂離宮」とよばれるわけ桂離宮とい
◎みかえり阿弥陀【重要文化財】◎「秋はもみじの永観堂」ゆかりの人物:永観(ようかん)創建:平安時代永観堂は「みかえり阿弥陀」につきる。永観堂(えいかんどう)といえば「みかえり阿弥陀」だ。阿弥陀堂に祀られている。小ぶりで、正面で拝観する場合は
◎空也上人立像がある◎平清盛坐像がある。◎六波羅探題があった。ゆかりの人物:空也(創建)、平家(本拠地)創建:平安時代(951年)空也上人が六波羅蜜寺を建てた空也上人って誰? なにをしたの?空也上人は、平安時代の僧侶。際立って伝
◎「あの世」と「この世」の境目に位置している◎小野篁伝説がある。ゆかりの人物:慶俊僧都(きょうしゅんそうず。開祖。弘法大師の師)、小野篁創建:平安時代珍皇寺は六道世界の入り口六道珍皇寺は、建てられている位置に意味がある。六道珍皇寺(ろくどう
◎平安京を約8分の5サイズで復元したもの。◎平安遷都1100年を記念して明治時代に創建された。◎時代祭りを主催するのは附属の平安講社。ゆかりの人物:桓武天皇(平安京へ遷都を行う。御祭神)、孝明天皇(江戸時代最後の天皇。幕末の混乱期に在位した。御祭神)創建:明治
◎豊臣秀吉が創建した。◎「国家安康・豊臣豊楽」の鐘が現存。◎巨大な大仏殿と大仏があった。ゆかりの人物:豊臣秀吉(創建)創建:安土桃山時代方広寺は巨大な敷地と大仏が存在していた方広寺(ほうこうじ)は、1595年に豊臣秀吉によって創建された。現
◎天皇家代々の菩提寺「御寺」◎降り参道(くだりさんどう)。大門から仏殿への参道が下り坂◎釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏が安置されている◎聖観音(楊貴妃観音)像が安置されているゆかりの人物:俊芿律師(しゅんじょうりっし)(創建)、四条天皇(最初に泉涌寺で
◎泉涌寺の別院。◎「走り大黒天」、悟りの窓、蓮華の間など、観光客フレンドリーなみどころがある。ゆかりの人物:後光厳天皇(創建)創建:南北朝時代南北朝時代、北朝の天皇が帰依した北朝の天皇は泉涌寺に帰依していて、別院の雲龍院と龍華院を建立した。ここ
◎通天橋は紅葉名所◎昭和の庭師による枯山水庭園「八相の庭」がある◎京都最大の大伽藍(寺院内寺院ほか施設)からなる◎京都五山第四位ゆかりの人物:九条道家(創建)、聖一国師(開山)、安国寺恵瓊(東福寺住職、秀吉側近)、文英清韓(東福寺住職、方広寺の鐘に「国家安康」
◎水墨画家で禅僧の雪舟が作庭した庭がある◎茶室・図南亭があるゆかりの人物:一條内経(いちじょううちつね。一條家4代目)(創建)、雪舟(作庭)創建:鎌倉時代雪舟寺芬陀院(ふんだいん)は、東福寺の塔頭(子院)で、東福寺北門から徒歩数分のところに
◎下カモ神社と上カモ神社は二つで一つ。南にある方。◎式年遷宮がある。◎紀元前からの歴史がある。◎参道は縄文時代から生き続ける森「糺(ただす)の森」。◎八咫烏(ヤタガラス)神話と密接なかかわり。◎30弱のミニ神社が集まっている。◎鴨長明が禰宜になりそこねた。◎葵祭で