【曼殊院門跡】「小さな桂離宮」
◎「小さな桂離宮」◎門跡寺院(代々皇族一門が住職であった格の高い寺院)◎ヨーロッパ的建築方法が用いられている。ゆかりの人物:良尚法親王(りょうしょうほっしんのう)創建:現在の形になったのは江戸時代「小さな桂離宮」とよばれるわけ桂離宮とい
◎「小さな桂離宮」◎門跡寺院(代々皇族一門が住職であった格の高い寺院)◎ヨーロッパ的建築方法が用いられている。ゆかりの人物:良尚法親王(りょうしょうほっしんのう)創建:現在の形になったのは江戸時代「小さな桂離宮」とよばれるわけ桂離宮とい
◎みかえり阿弥陀【重要文化財】◎「秋はもみじの永観堂」ゆかりの人物:永観(ようかん)創建:平安時代永観堂は「みかえり阿弥陀」につきる。永観堂(えいかんどう)といえば「みかえり阿弥陀」だ。阿弥陀堂に祀られている。小ぶりで、正面で拝観する場合は
◎空也上人立像がある◎平清盛坐像がある。◎六波羅探題があった。ゆかりの人物:空也(創建)、平家(本拠地)創建:平安時代(951年)空也上人が六波羅蜜寺を建てた空也上人って誰? なにをしたの?空也上人は、平安時代の僧侶。際立って伝
◎「あの世」と「この世」の境目に位置している◎小野篁伝説がある。ゆかりの人物:慶俊僧都(きょうしゅんそうず。開祖。弘法大師の師)、小野篁創建:平安時代珍皇寺は六道世界の入り口六道珍皇寺は、建てられている位置に意味がある。六道珍皇寺(ろくどう
◎平安京を約8分の5サイズで復元したもの。◎平安遷都1100年を記念して明治時代に創建された。◎時代祭りを主催するのは附属の平安講社。ゆかりの人物:桓武天皇(平安京へ遷都を行う。御祭神)、孝明天皇(江戸時代最後の天皇。幕末の混乱期に在位した。御祭神)創建:明治
◎妙心寺派は臨済宗の最大宗派◎塔頭が40余りある◎八方睨みの「雲龍図」がある◎一度途絶え、復活した◎「紫衣事件」の際徳川幕府の「禁中並公家諸法度」に抗議したゆかりの人物:花園法皇(創建)創建:南北朝時代妙心寺派は臨済宗の最大宗広い敷地に
◎世界的に有名な龍安寺石庭がある。ゆかりの人物:細川勝元(創建)創建:室町時代なにがなんだかわからない龍安寺方丈庭園(龍安寺石庭)【世界遺産、国の史跡及び特別名勝】龍安寺(りょうあんじ)には枯山水庭園がある。世界文化遺産に指定されている。座って
妙心寺は塔頭が多くあり庭園もある。そのうち、桂春院の庭園は常時公開されている。桂春院は、江戸幕府成立少し前の1598年に織田信長の孫の津田秀則によって創建された。国指定史跡名勝。こじんまりとしたつくりながら、方丈と四つの庭があり、散策もできる。庭清浄の庭
◎日本最初の門跡寺院◎菅原道真が腰かけたとされる石がある◎御室桜が有名◎将棋「竜王戦」が行われるゆかりの人物:宇多天皇(創建)創建:平安時代日本最初の門跡寺院 約1000年30代天皇家出身の住職仁和寺(にんなじ)は平安時代の888年(仁和4
仁和寺の裏に成就山がある。この山道に沿って、八十八ヶ所の霊場が設けられている。八十八ヶ所霊場は四国が本場であるが、一般の人々が四国まで行くのは簡単ではない。このため、江戸時代の仁和寺29世・済仁法親王が人々がお参りしやすいように設置したのが御室八十八ヶ所霊場だ。四国八十八ヶ所
◎足利家の菩提寺◎足利尊氏の墓がある◎足利15代歴代将軍の木像が安置されている◎夢窓疎石三大庭園の一つとされる庭園があるゆかりの人物:足利尊氏(創建)、夢窓疎石(開山)創建:室町時代足利尊氏、等持院を建造する足利尊氏は、打倒鎌倉幕府で旗
◎豊臣秀吉が創建した。◎「国家安康・豊臣豊楽」の鐘が現存。◎巨大な大仏殿と大仏があった。ゆかりの人物:豊臣秀吉(創建)創建:安土桃山時代方広寺は巨大な敷地と大仏が存在していた方広寺(ほうこうじ)は、1595年に豊臣秀吉によって創建された。現
◎天皇家代々の菩提寺「御寺」◎降り参道(くだりさんどう)。大門から仏殿への参道が下り坂◎釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏が安置されている◎聖観音(楊貴妃観音)像が安置されているゆかりの人物:俊芿律師(しゅんじょうりっし)(創建)、四条天皇(最初に泉涌寺で
◎通天橋は紅葉名所◎昭和の庭師による枯山水庭園「八相の庭」がある◎京都最大の大伽藍(寺院内寺院ほか施設)からなる◎京都五山第四位ゆかりの人物:九条道家(創建)、聖一国師(開山)、安国寺恵瓊(東福寺住職、秀吉側近)、文英清韓(東福寺住職、方広寺の鐘に「国家安康」
◎水墨画家で禅僧の雪舟が作庭した庭がある◎茶室・図南亭があるゆかりの人物:一條内経(いちじょううちつね。一條家4代目)(創建)、雪舟(作庭)創建:鎌倉時代雪舟寺芬陀院(ふんだいん)は、東福寺の塔頭(子院)で、東福寺北門から徒歩数分のところに
◎足利尊氏が後醍醐天皇を弔った寺◎夢窓疎石が大きくかかわった。◎夢窓疎石が作庭した曹源池庭園がある。◎加山又造が描いた雲龍図があるゆかりの人物:足利尊氏(創建)、後醍醐天皇(弔われている)、夢窓疎石(創建)創建:室町時代天龍寺は後醍醐天皇、足利
◎上カモ神社と下カモ神社は二つで一つ。北にある方。◎式年遷宮がある。◎神が降臨された神山をかたどった立砂がある。◎葵祭の終点。◎賀茂競馬(かもくらべうま)の行事がある。時代:紀元前、神武天皇の時代、神山に御祭神が降臨下鴨神社と上賀茂神社 なぜ下
◎下カモ神社と上カモ神社は二つで一つ。南にある方。◎式年遷宮がある。◎紀元前からの歴史がある。◎参道は縄文時代から生き続ける森「糺(ただす)の森」。◎八咫烏(ヤタガラス)神話と密接なかかわり。◎30弱のミニ神社が集まっている。◎鴨長明が禰宜になりそこねた。◎葵祭で
◎京都最古の禅寺。◎京都五山第三位。◎栄西が建立。◎栄西は茶道の祖。◎風神・雷神図屏風がある。ゆかりの人物:栄西(創建。1202年)、安国寺恵瓊(再建に貢献)創建:鎌倉時代建仁寺は栄西が建立した京都最古の禅寺栄西とはどのような人?
◎一休、利休が歴史上に登場◎茶道のメッカ◎織田信長の葬儀を豊臣秀吉が行った◎戦国武将の塔頭がある。◎黄金分割の方丈庭園ゆかりの人物:一休宗純、千利休、豊臣秀吉創建:鎌倉時代大徳寺のキーマン 一休、利休大徳寺の歴史をみるにあたり、有名な2
ひとくちに「大徳寺」といっても、お寺一つがあるわけではない。大徳寺には塔頭が20以上もあり、それらを全部合わせて大徳寺だ。塔頭は、高僧が引退後に敷地内に建てたり、大名・武将や豪商がスポンサーとなって菩提寺として建てたりする寺。大徳寺の塔頭のうち半分以上が戦国大名によって建てられている
◎大徳寺の塔頭のなかで一番古い◎滹沱底(こだてい)、東滴壷(とうてきこ)、一枝担(いっしだん)、龍吟庭(りゅうぎんてい)とそれぞれ特徴をもつ庭がある。◎豊臣秀吉と徳川家康が伏見城で対局したといわれる碁盤がある。◎日本最古の種子島銃がある。ゆかりの人物:畠山義元
◎徳川家康の豊臣秀吉神格化封じ◎元は秀吉の長男の菩提寺の祥雲寺◎名勝庭園は小さくもみごたえあり◎国宝障壁画が宝物館でゆっくりみられるゆかりの人物:徳川家康、根来衆(紀伊の根来寺の僧兵)、鶴松(亡くなった秀吉の長男)創建:安土桃山時代智積院は
◎豊臣秀吉が神として祀られている。◎現在の「豊国神社」は明治時代に建てられた。◎「豊国」は「豊葦原中津国」の略。◎宝物館で秀吉の歯をみることができる。ゆかりの人物:豊臣秀吉創建:安土桃山時代(豊国社)、明治時代(豊国神社)豊国神社の前身は豊国社
◎豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役の遺跡。ゆかりの人物:豊臣秀吉、朝鮮出兵の犠牲者建立:安土桃山時代耳塚は供養なのか、力の誇示なのか豊臣秀吉は朝鮮出兵を行った。文禄・慶長の役(1592年~1598年)がそれだ。"戦果"は通常打
◎門跡寺院◎江戸初期の宮殿建築が見られる。◎徳川家康が皇位継承に介入した痕跡がある◎1分でお遍路 四国八十八カ所霊石巡りができる◎水戸光圀寄進の勧修寺型灯篭があるゆかりの人物:醍醐天皇(創建)、明正天皇(書院、宸殿を寄贈。徳川秀忠の孫)創建:平安時代
◎鳥居に「天下無敵必勝利運」と書かれた扁額がかかっている。◎御祭神は菅原道真と徳川家康。ゆかりの人物:菅原道真、菅原義郷(道真公の6世孫)、後宇多天皇、徳川家康。創建:平安時代なぜ「霊光殿」なのか。霊光殿天満宮の始まりは、天皇の命をうけて、菅原
◎「へそ石」がある。◎聖徳太子が建立した。◎本堂が六角形。「へそ石」も六角形。◎華道家元・池坊の発祥の地。ゆかりの人物:聖徳太子(創建)、嵯峨天皇(勅願所に指定)創建:飛鳥時代(言い伝え)京都の中心、町衆の役所的存在平安時代には格の高い寺だ
◎天智天皇の墓(天智天皇は飛鳥時代の第38代天皇。乙巳の変でおなじみの中大兄王子)。◎記念の日時計がある(天智天皇は日本初の水時計を作ったといわれていることから)。ゆかりの人物:天智天皇造営:7世紀末~天智天皇の墓・山科陵は京都最古の天皇陵
◎山縣有朋の別荘◎明治時代の和・モダンの庭◎「無鄰菴会議」(日露戦争直前の)が行われた場所。ゆかりの人物:山縣有朋創建:明治時代庭|池でなく川、苔でなく芝生、鶴島・亀島なし無鄰菴(むりんあん)は第3代と9代の内閣総理大臣を務めた山縣有朋が別荘と