【落柿舎】松尾芭蕉の弟子:向井去来の別荘 俳句振興の庵

◎松尾芭蕉の弟子:向井去来の別荘。
◎松尾芭蕉がここで『嵯峨日記』を書いた。

ゆかりの人物:向井去来、松尾芭蕉
創建:江戸時代

落柿舎と松尾芭蕉と向井去来

落柿舎(らくししゃ)は江戸時代の俳人・向井去来(むかいきょらい)が別荘としていた庵。
落柿舎のある嵯峨嵐山は風光明媚な場所として平安のころから、貴族や文化人の別荘地となっていた。
平安時代の歌人:藤原定家も別荘をかまえていた。

向井去来は松尾芭蕉が最も信頼した弟子。
俳句の才能も人望もあり、西日本の芭蕉の弟子らを束ねていた。

芭蕉は落柿舎を3度訪れ、『嵯峨日記』を書いた。

落柿舎の由来


庭に40本の柿の木の実があった。
それを商人が全部買うと約束して代金を払って帰ったが、その夜の強風ですべて落ちてしまい、去来が代金を全額返金した。
このエピソードから去来自ら落柿舎とよぶようになった。

落柿舎投句箱

去来が亡くなって落柿舎は朽ち果てたが、66年後の1770年に俳人で去来の親族の井上重厚によって再建された。

現在の建物は1937年に有志による保存会によって整備されている。
投句箱が設置されていて、優秀作品を選定するなど俳句振興の場になっている。

落柿舎の北には去来の墓がある。

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