平安時代

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【東寺(教王護国寺)】空海の寺 寺全体が立体曼荼羅

◎空海の寺◎平安京創建当初の姿をとどめている◎立体曼荼羅がある◎五重塔は5代目◎楠木正成が射た矢の跡があるゆかりの人物:空海創建:平安時代東寺は平安京創建の2年後に創建 796年東寺(とうじ)は平安京が創建された際、その一部として建設さ

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【八坂神社】牛頭天王と蘇民将来を祀る疫病退散の社

◎疫病退散を担う神社◎祇園祭は八坂神社の祭礼ゆかりの人物:蘇民将来(そみんしょうらい)、牛頭天王(ごずてんのう)、スサノオノミコト。創建:飛鳥時代(656年)八坂神社(やさかじんじゃ)と祇園祭(ぎおんまつり)と疫病退散祇園祭は八坂神社の祭礼

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【三十三間堂】千体の千手観音。栄華を誇る平清盛が後白河上皇に寄進。

◎三十三間の三十三は観音が変化した数◎千体千手観音立像。千のわけは「多いほうがいい」から。ゆかりの人物:平清盛(寄進)、後白河上皇創建:平安時代三十三間堂の三十三の意味は?三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は通称で、正式名は蓮華王院という寺院だ。

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【北野天満宮】学問の神様 菅原道真が祀られている。道真と牛のエピソードとは?

◎菅原道真が祀られている。◎〇〇天満宮・〇〇天神の総本社。◎なで牛がある。◎豊臣秀吉が北野大茶会を開催した。ゆかりの人物:菅原道真(御祭神)創建:平安時代菅原道真はどんな人か菅原道真が有名なわけ菅原道真は平安時代の貴族で、朝廷に勤務し一

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【醍醐寺】1 比叡山延暦寺をもしのぐ巨大寺院

◎醍醐天皇の名前となった◎「鎌倉幕府vs後醍醐天皇」で後醍醐天皇をバックアップした◎後醍醐天皇に敵対する足利尊氏も支援したゆかりの人物:聖法(創建)、醍醐天皇(勅願寺に指定)、後醍醐天皇(支援をうける)、足利尊氏(正統性を保証される)、豊臣秀吉(醍醐の花見を開催す

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【醍醐寺】3 豊臣秀吉、醍醐の花見。醍醐寺と秀吉の関係は?

◎醍醐寺は平安時代から「桜会」が有名だった◎醍醐寺三宝院の座主・義演は、秀吉が関白になるのを助けた◎ねね、茶々、侍女らを女人禁制の上醍醐に招いた◎花見会場の設営などなど景気対策でもあったゆかりの人物:豊臣秀吉、義演(三宝院座主)醍醐寺は、豊臣秀

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【醍醐寺】4 上醍醐・下醍醐の壮大な仏教施設。醍醐水、薬師如来、五大明王

◎山の上の上醍醐と麓の下醍醐がある◎五重塔がある。京都で一番古い木造建築物◎醍醐水がある◎醍醐寺の中心的な寺院・三宝院があるゆかりの人物:聖法上人(しょうぼうしょうにん 創建)創建:平安時代醍醐寺を創建したのは聖法上人。聖法上人は山岳で修業

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【醍醐寺】5 三宝院と庭園 秀吉は完成をみずに亡くなった[全部のせ]の豪華庭園

◎日本一有名な藤戸石がメイン◎枯山水あり、池泉あり、蓬莱山あり、鶴島亀島あり、橋あり・・・。日本の庭園の要素がてんこもり。ゆかりの人物:義演(安土桃山時代の三宝院座主)、豊臣秀吉(スポンサー&基本設計)創建:平安時代豊臣秀吉が義演に恩返しした豪

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【六波羅蜜寺】空也像、平清盛坐像が有名。六波羅蜜の意味とは?

◎空也上人立像がある◎平清盛坐像がある。◎六波羅探題があった。ゆかりの人物:空也(創建)、平家(本拠地)創建:平安時代(951年)空也上人が六波羅蜜寺を建てた空也上人って誰? なにをしたの?空也上人は、平安時代の僧侶。際立って伝

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【六道珍皇寺】小野篁、閻魔庁官僚伝説

◎「あの世」と「この世」の境目に位置している◎小野篁伝説がある。ゆかりの人物:慶俊僧都(きょうしゅんそうず。開祖。弘法大師の師)、小野篁創建:平安時代珍皇寺は六道世界の入り口六道珍皇寺は、建てられている位置に意味がある。六道珍皇寺(ろくどう

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【仁和寺】初代から代々皇室出身者が住職となっていた寺。菅原道真が腰掛けた石がある

◎日本最初の門跡寺院◎菅原道真が腰かけたとされる石がある◎御室桜が有名◎将棋「竜王戦」が行われるゆかりの人物:宇多天皇(創建)創建:平安時代日本最初の門跡寺院 約1000年30代天皇家出身の住職仁和寺(にんなじ)は平安時代の888年(仁和4

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【仁和寺 御室八十八ヶ所霊場】ほぼ完全、寺名・本尊 写真で一覧

仁和寺の裏に成就山がある。この山道に沿って、八十八ヶ所の霊場が設けられている。八十八ヶ所霊場は四国が本場であるが、一般の人々が四国まで行くのは簡単ではない。このため、江戸時代の仁和寺29世・済仁法親王が人々がお参りしやすいように設置したのが御室八十八ヶ所霊場だ。四国八十八ヶ所

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【泉涌寺】天皇家の菩提寺「御寺」となったのは武士が権力をもち劣勢な皇室の支柱となったから

◎天皇家代々の菩提寺「御寺」◎降り参道(くだりさんどう)。大門から仏殿への参道が下り坂◎釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏が安置されている◎聖観音(楊貴妃観音)像が安置されているゆかりの人物:俊芿律師(しゅんじょうりっし)(創建)、四条天皇(最初に泉涌寺で

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【勧修寺】徳川秀忠の孫・明正天皇の御殿がある。1分でお遍路 四国八十八カ所霊石巡りができる

◎門跡寺院◎江戸初期の宮殿建築が見られる。◎徳川家康が皇位継承に介入した痕跡がある◎1分でお遍路 四国八十八カ所霊石巡りができる◎水戸光圀寄進の勧修寺型灯篭があるゆかりの人物:醍醐天皇(創建)、明正天皇(書院、宸殿を寄贈。徳川秀忠の孫)創建:平安時代

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【霊光殿天満宮】菅原道真、徳川家康をまつる神社

◎鳥居に「天下無敵必勝利運」と書かれた扁額がかかっている。◎御祭神は菅原道真と徳川家康。ゆかりの人物:菅原道真、菅原義郷(道真公の6世孫)、後宇多天皇、徳川家康。創建:平安時代なぜ「霊光殿」なのか。霊光殿天満宮の始まりは、天皇の命をうけて、菅原

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【聖護院門跡】山伏の総本山 天皇家とゆかりのふかい門跡寺院

◎山伏(修験道)の総本山◎皇室とゆかりが深い、門跡寺院◎数度の火災を免れてきた不動明王像が安置されている。ゆかりの人物:白河上皇、僧誉大僧正創建:平安時代聖護院の聖護は「聖体護持」からとられたもの聖護院の由来「聖体護持」は天皇を守るとい