【曼殊院門跡】「小さな桂離宮」

◎「小さな桂離宮」
◎門跡寺院(代々皇族一門が住職であった格の高い寺院)
◎ヨーロッパ的建築方法が用いられている。

ゆかりの人物:良尚法親王(りょうしょうほっしんのう)
創建:現在の形になったのは江戸時代

「小さな桂離宮」とよばれるわけ

桂離宮といえば、日本庭園・建築施設の最高傑作だ。
曼殊院(まんしゅいん)は「小さな桂離宮」といわれている。
各デザインが桂離宮と共通する部分があるためだ。

桂離宮を造ったのは八条宮智仁(はちじょうのみやとしひこ)親王とその長男の智忠親王。
この2人は曼殊院を造った良尚法親王の父・兄だ。

また同様に日本庭園の傑作とされている施設に、修学院離宮があるが、これも八条宮智仁のいとこの後水尾天皇によるものだ。

もとは最澄の創建

曼殊院は、もとは天台宗の開祖・最澄が道場として比叡山に創建した寺院。
その後「東尾坊」と命名されたが、平安時代に「曼殊院」と改名し江戸時代の1656年に現在の場所に移った。

門跡寺院

曼殊院門跡の”門跡”は貴族や上級貴族の師弟が住む寺という意味。

曼殊院 「小さな桂離宮」ポイント

枯山水の庭。小堀遠州好みと伝えられる。

白砂による、大海が広がり、滝組があり、石橋が配置されている。
大海には、鶴島亀島がうかび、蓬莱山が見える。
燈籠手水鉢などには意図されたデザインがほどこされていて、ちょっとした驚きから庭を静的にも動的にも楽しめるようになっている。

桂離宮、修学院離宮は予約が必要だが、曼殊院は不要だ。
この庶民に優しい感じが素晴らしい。

枯山水

大海

滝組と石橋

滝から流れた水が川に注ぎ込む。

鶴島

亀島

デザインされた置物

梟の手水鉢


大書院と小書院を結ぶ縁側の前に手水鉢がある。
縁側の方に少し傾いている。このことで水面に映りこんだ月が縁側で鑑賞できるようになっているそうだ。
横に梟が刻まれていることから、梟の手水鉢とよばれる。
下の台は亀、前方の石は鶴をかたどったもの。

燈籠


火袋の形がそれぞれ異なり、3段目は月の形にくりぬかれていてかわいい。
月見をテーマにした桂離宮と共通している。

書院のパースペクティブ

建築では、ヨーロッパの技法がとりいれられている。
遠近法(パースペクティブ)だ。
宮元健次著『京都格別な寺』によると、大書院の「富士の間」「黄昏の間」「上段の間」の奥行が2:1.5:1になっているのだそう。

また縁側につけられた手すりも遠くへいくほど高さが低くなるようにつくられており、遠近感が強調されている。


曼殊院ホームページ

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