【京都御所】歴代天皇の皇居

◎歴代天皇の皇居
◎申し込みなしで見学できる。

ゆかりの人物:桓武天皇(京都を首都とした)
創建:794年(平安時代)、その後幾度となく焼失、再建される。

平安京以来の皇居

794年、桓武天皇はこの地に新しい首都をおき、平安京と名づけた。
京都御所は、平安京での天皇の住まい=皇居。

以来、明治維新まで皇居として使用されていた。

当初は二条城のあたりに

当初御所は現在の二条城のあたりに建てられていた。

原地図は『古今都細見之圖。内容年代794-不明。』国際日本文化研究センター提供

原地図は『京都市街地圖 内容年代 不明』国際日本文化研究センター提供

御所は、火災や戦乱などで焼失を繰り返した。

御所から少し離れたところには貴族らが住んでいて、天皇はそのつどそちらに仮住まいしていた。
御所の再建がままならないことなどから、1331年、光厳天皇はこの貴族らの住む地区の土御門東洞殿(つちみかどひがしのとういんどの)で即位し、以降定着して現在の御所となった。
土御門邸は300年ほど前、藤原道長が邸宅としていたところ。

藤原道長。画像はNHK『光る君へ』ウェブサイトより

1467-1592年の頃(1331年より後の時代のものだが)の土御門東洞院の位置

原地図は『内容年代1467-1592年』国際日本文化研究センター提供

1331年は鎌倉幕府滅亡(1333年)の直前であり、幕府が鎌倉から室町(京都)へ移る時期。

京都御所参観

京都御所は事前申し込みなしで公開されている。

見学コースみどころ:塀

築地塀(ついじべい) 京都御所を囲んでいる。

見学コースみどころ:御門 門はいくつかある。これは見ておきたい。

①建礼門(けんれいもん)

一番格式高い正門。天皇陛下と外国の元首のみに開かれる。

②朔平門(さくへいもん)

皇后が使った正門。

③宜秋門(ぎしゅうもん)

かつて公家などが出入りした。別名公家門。

④承明門(じょうめいもん)

紫宸殿への門。

⑤日華門(にっかもん)

⑥月華門(げっかもん)

⑦建春門(けんしゅんもん)

美しさNo.1

⑧清所門(せいしょもん)

皇宮警察本部京都護衛署 の派出所がある。見学時荷物検査はここで。

見学コースみどころ:エリアごとにわかれている機能


御所は儀式を行う場所と住まいとして使われる場所に分かれている。
【南】政や儀式の場-【中央】天皇の住まい-【北】女性と子どもの住まい

見学コースみどころ:建物 行事を行う建物と住まいの建物

⑨紫宸殿(ししんでん) 京都御所最大級の建築物で最も重要な場所。

歴代天皇の即位式、朝賀の式、大嘗祭(おおにえのまつり)など公的な儀式が行われる。
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根。
正面の階段は幅9メートル、段数は9×2=18段。9は最上の数字と考えられていたため。

側面の階段
左右それぞれ9段ずつある。

⑩清涼殿(せいりょうでん)

天皇の日常の住まいだったところ。住まいを御常御殿に移してからは儀式用が行われた。涼しいように建てられている。

清涼殿については菅原道真にまるわる有名な逸話がある。

菅原道真は大宰府に左遷されて、903年そこで亡くなった。
死後道真は怨みから雷神となってたびたび朝廷の内裏を襲った。

930年、雨不足のおり、高官が干ばつ対策を協議しているところへ、雷が落ち死者、負傷者がでた。
これらの災いが道真のたたりによるものとして北野天満宮に伝わる『北野天神縁起絵巻』(国宝)に描かれている。
この高官が集まっていた場所が清涼殿なのだ。
(ただし、御所の場所は平安時代と現在では異なる)

『北野天神縁起絵巻』(承久本)。醍醐天皇がおられた清涼殿に雷神が雷を落としている場面

菅原道真はなぜ左遷されたか

平安時代、藤原が隆盛を誇り政治の権力を握っていた。
一方、菅原道真は藤原の系列ではないが、優秀であったため出世を重ね藤原勢よりも上位の右大臣になった。
これをねたんだ藤原勢が天皇にうその告げ口をし、道真はいわれのない罪をきせられ地方に飛ばされることになった。

⑪小御所

謁見の場。

大政奉還後の1867年12月、徳川慶喜に内大臣の辞退、領地返納が討議された「小御所会議」が行われた場所。

⑫御学問所

和歌の会などが行われた。

1867年の「王政復古の大号令」はここで明治天皇が発せられた。

⑬御三間(おみま)

年中行事が行われる。

⑭御常御殿(おつねごてん)

天皇の住まい。

⑮諸大夫の間(しょだいぶのま)

公家や将軍家の使者の控えの間。身分によって部屋が決まっている。

各部屋には襖絵が描かれていて、向かって右の「虎の間」が一番高く、「鶴の間」、「桜の間」と続く。

虎の間

鶴の間

桜の間

⑯春興殿(しゅんこうでん)

大正天皇の即位礼の際に建てられたもの。

銅葺(どうぶき)の屋根。

⑰御車寄(おくるまよせ)

高位の貴族などのための玄関。
諸大夫の間や清涼殿、小御所などと廊下でつながっている。

⑱新御車寄(しんみくるまよせ)

大正天皇の即位に合わせ設けられた、馬車用の玄関。

見学コースみどころ:庭

⑲南庭

紫宸殿と一体になって儀式に使用された。

⑳御池庭

回流式庭園。徳川家康によって造成されたもの。作庭は小堀遠州。

前面は洲浜で、船着き場として飛び石が置いてある。

㉑御内庭(ごないてい)

天皇の日常空間の庭。

見学コースみどころ:滝口 「滝口の武士」が控えたところ

天皇の住まいの清涼殿の横を流れる水路がある。
この水路に近くの滝の水が流れ込んでくるため、滝口とよばれていた。
清涼殿を警護する武士は滝口の近くに控えていたため、この任務を負う武士は「滝口の武士」とよばれた。


滝口の武士は平将門が務めていたことや、『枕草子』で触れられていたりなどで知られている。

見学コースの地図は宮内庁HPより。

見学コースは全体で約1km、60分程度。

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