◎水墨画家で禅僧の雪舟が作庭した庭がある
◎茶室・図南亭がある
ゆかりの人物:一條内経(いちじょううちつね。一條家4代目)(創建)、雪舟(作庭)
創建:鎌倉時代
雪舟寺
芬陀院(ふんだいん)は、東福寺の塔頭(子院)で、東福寺北門から徒歩数分のところにこじんまりとある。
「芬陀院」の表札よりも「雪舟庭園」「雪舟寺」の表札のサイズが大きく雪舟作の庭がメインの寺といってよさそうだ。
庭もこじんまりしている。
雪舟作の「鶴亀の庭」と、昭和の作庭家・重森三玲による東庭の二つの庭がある。
雪舟庭園「鶴亀の庭」
枯山水庭園。京都で最古の枯山水庭園の一つといわれる。
「鶴と亀、以上。」というシンプルさ。
手前にまっすぐな白砂、鶴(向かって左に)、亀の構成で、見ていてさっぱりと落ち着いた気分になる。
亀についての逸話がある。
一條兼良(一條家8代目)が画に秀でた雪舟に亀の画を依頼した。
ところが雪舟は描かず、庭に出て石で亀を形作った。
するとその夜、石組の亀が動き出したという。
見ていた和尚が雪舟になんとかしてほしいと相談すると雪舟は亀石の上に大きな石を乗せ、亀は動かなくなった。
兼良は褒賞として寺を与えようとしたが雪舟は断り中国・明へ画の修行に渡った。
このことから亀石は「渡明の亀」とよばれるようになった。
雪舟とは?
雪舟は水墨画で有名だが、禅宗の僧でもある。
室町時代に活躍した人物で、一般に二つの点で広く知られている。
・涙で描いた鼠の話
・水墨画『天橋立図』
雪舟の「なみだでねずみ」 少年期
雪舟は少年時代に岡山県の禅寺・宝福寺で修業をしていたが、経の勉強をせず絵ばかり描いていたため、住職はこらしめに雪舟を柱にしばりつけた。
雪舟はその体勢で落ちた涙と足で鼠の画を描き、様子を見に行った住職はその鼠が動いていると思ったほどの出来栄えであった。
このエピソードを知っていた兼良が雪舟に亀の画を依頼したというわけだ。
雪舟はその後、京都の禅寺・相国寺で修業した。
禅寺・東福寺に参るさいに必ず芬陀院によって作庭したという。
明へ渡ったのは48歳の頃。
天橋立図 82歳
重森三玲作庭の東庭
重森三玲は昭和の作庭家。
年月を経て荒廃していた「鶴亀の庭」を復元した。
そしてその際に新たに東庭をつくった。
トリミングされた東庭
一條昭良好みの茶室 図南亭
一條昭良は一條家14代目当主。
茶道好きで「茶関白」ともよばれた。
東福寺に参拝するさいには図南亭で茶を楽しんだといわれる。
現在の建物は1969(昭和44)年に復元されたもの。
昭良は出家後は恵観(えかん)と称したことから「恵観堂」ともよばれる。
手水鉢と崩家形燈籠
宗派
臨済宗
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