【瑞峯院 大徳寺塔頭】大友宗麟のグローバルな活躍をほうふつとさせる独坐庭

◎大友宗麟が創建
◎枯山水庭園・独坐庭がある

ゆかりの人物:大友宗麟(創建)
創建:戦国時代

大徳寺には塔頭(子院)が20以上ある。
常時公開しているのは4院で、瑞峯院はその一つ。

大友宗麟は豊後(大分)の富裕大名

大徳寺瑞峰院は大友宗麟が創建した。
大友宗麟は戦国時代、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来航した時代の豊後(大分)の大名。

大友氏のグローバル交易

この時代、独自に外国と貿易をしている地方の大名も多くいた。
大友宗麟はその代表格で、グローバルに交易を行い大船を建造する技術、財力、軍事力をもつ有力大名であった。

大友氏に富をもたらしたのは硫黄だ。
硫黄は火薬の原料として需要があった。
豊後は硫黄鉱石の2大産地をもっており平安後期から主要な輸出資源であった。

大友宗麟キリシタン大名になる

大友宗麟はフランシスコ・ザビエルに会い、長崎にさきがけてキリスト教を受入れ、豊後は日本のキリスト教の根拠地として繁栄した。

宗麟がキリスト教を受け入れたのは、信仰とともに貿易面での展開を見込んだからとみられる。
のちに洗礼をうけ、キリシタン大名となる。

瑞峰院は領地をもっていた

瑞峯院は肥後に領地をもち、そこからの年貢が豪商によって納められていた。

参考:『戦国氏の中の戦国大名』鹿毛敏夫、講談社

瑞峰院のみどころ

瑞峰院 方丈【重要文化財】

「瑞峰院」の額は後奈良天皇の直筆

瑞峰院 茶室

餘慶庵(よけいあん)


表千家八代目啐啄斎宗匠好みの席のうつし。

安勝軒(あんしょうけん)


表千家惺斎宋匠の好み。
大徳寺唯一の逆勝手席(右側に勝手があり、左に向かい御点前をする)。

瑞峰院 庭園

独坐庭(どくざてい)


蓬莱山式庭園。

中国の禅僧による禅語「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」が由来。
荒波に打ち寄せられても雄々と独坐している蓬莱山の風景、だそう。

海洋をグローバルに活躍した大友宗麟のダイナミックさを感じさせる力強く動きのある庭。

閑眠庭(かんみんてい)

禅語「閑眠高臥して青山に対す」が由来。
作庭は昭和の庭師、重森三玲による。
キリシタン大名の大友宗麟をしのび、横3個、縦4個の石の流れが十字架に組まれている。

キリシタン燈籠


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