◎京都最古の禅寺。
◎京都五山第三位。
◎栄西が建立。
◎栄西は茶道の祖。
◎風神・雷神図屏風がある。
ゆかりの人物:栄西(創建。1202年)、安国寺恵瓊(再建に貢献)
創建:鎌倉時代
建仁寺は栄西が建立した京都最古の禅寺
栄西とはどのような人?
栄西(えいさい。ようさいとも)は平安末期から鎌倉時代の僧。
初めは比叡山延暦寺で天台宗を学び、その後、天台密教、真言密教を学んだエリートであった。
後に、宗(中国)へ留学し、禅宗に出会う。
宋では旧来の天台宗は勢いを失い新しい禅宗が盛んになっていて、宗の師から禅宗のうちの臨済宗を広める許可を得て帰国した。
ところが布教活動を始めるも既存の宗教から迫害・追放をうけ、京の朝廷からは布教を禁じられてしまう。
それを救ったのが、新しい政府、鎌倉幕府だ。
鎌倉幕府と栄西
新しい幕府がもとめる新しい宗教
鎌倉幕府は平安時代の貴族政治の衰退にかわって誕生した。
政治の中心も京ではなく関東の鎌倉。
宗教についても、京での貴族中心のものではない仏教を欲していた。
一方、京を追われた栄西は、新しく開かれた鎌倉へ布教活動の場をうつした。
武士階級の「自分たちにふさわしい仏教を」との思いと、栄西が新しくもたらした禅宗がうまくはまった。
栄西は、鎌倉幕府を開いた源頼朝から福岡に土地を与えられ聖福寺の創始者となった。
頼朝の死後は、妻の北条政子が創建した寿福寺の僧侶の長となった。
栄西は鎌倉幕府から絶大な信頼を得ていった。
建仁寺創建
二代将軍・源頼家は京に禅寺を建てようと考え、栄西に土地を与えた。
土地は、朝廷を監視する目的で設けられた六波羅探題に隣接する場所で、もとは平家の本拠地を接収したところ。
1202(建仁2)年に創建されたこの寺が建仁寺だ。
方丈と大玄関
建仁寺は禅宗の臨済宗だが、朝廷からは天台宗、密教、禅宗の三宗兼修として許可された。
日本のおもな宗派
密教系 | 天台宗 |
真言宗 | |
浄土宗系 | 浄土宗 |
浄土真宗 | |
日蓮宗 | |
禅宗系 | 臨済宗 |
曹洞宗 | |
黄檗宗 |
栄西は1215年に亡くなる。
禅宗専門になったのは第11世の時(1246年)。
五山格付けのはじまり
13世紀のおわり、鎌倉幕府は、他宗教から禅宗・臨済宗を保護する目的で南宋(中国)の制度をまね、臨済宗の寺院の格付けを始めた。
ベスト5とそれのさらに上位の五山の上の6ランクがある。
五山の上に位置付けられているのは南禅寺。
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まずは鎌倉五山、のちに京都五山を定めた。
建仁寺は第三位。
五山に選ばれると幕府の援助を得られる反面、規則でしばられる面もあった。
五山制度は時々の事情で変更があったが、現在は次のようになっている。
京都五山
五山の上 | 南禅寺 |
第一位 | 天龍寺 |
第二位 | 相国寺 |
第三位 | 建仁寺 |
第四位 | 東福寺 |
第五一位 | 万寿寺 |
鎌倉五山
第一位 | 建長寺 |
第二位 | 円覚寺 |
第三位 | 寿福寺 |
第四位 | 浄智寺 |
第五位 | 浄妙寺 |
建仁寺焼失 安国寺恵瓊による再建
15世紀中ごろ室町幕府が衰退すると、五山の寺も援助がうけられなくなった。
そんなおり、1552年に建仁寺は大火事にみまわれる。
再建には新たな支援者をみつける必要があり、建仁寺は豊臣秀吉との関係を深めた。
豊臣秀吉の右腕に外交顧問として活躍した安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という臨済宗の僧侶がいた。
安国寺恵瓊は建仁寺に全面協力し、出身の広島の安国寺から方丈を、自分が務めていた京都の東福寺から仏殿を移設、建仁寺を再建した。
ところが。
時代は秀吉から徳川家康に替わり、宗教に関しては家康の外交顧問・以心崇伝が力を持つ。
以後、建仁寺は崇伝の管理下におかれることになる。
安国寺恵瓊首塚
禅宗と茶
茶道の祖は栄西だ。
栄西は宋(中国)に留学した際に禅と合わせて茶を学び日本にもたらした。
茶室・東陽坊
1587(天正15年)に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、この茶室が千利休の高弟・東陽坊長盛が担当した副席(お茶会の第2部)だったと伝えられている。
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禅寺ではお茶をいただく習慣があり、特に座禅を行う際には眠気覚ましにもなるということで、禅宗と茶は切り離せないものだという。
また、茶は体の健康にもよい効果があるとうことで、栄西は茶の栽培法、飲み方なども書いた『喫茶養生記』を執筆した。
栄西著:『喫茶養生記』
1694(元禄07)年版、1ページ目。
武士と禅宗と茶
鎌倉幕府に受け入れられた禅宗とくに臨済宗は、室町、江戸の武士たちにも引き継がれていった。
戦国武将と臨済宗
足利尊氏 | 臨済宗・天龍寺を創建。 |
織田信長 | 臨済宗・相国寺にて茶人・千利休を招く。 |
豊臣秀吉 | 織田信長の葬儀を臨済宗・大徳寺で営む。茶道好き。千利休と深くかかわる。黄金の茶室をつくる。 |
徳川家康 | 今川義元のもとで人質生活をおくっていた際、義元が創建した臨済宗・臨済寺で教育をうける。 臨済寺が火災にあった際は再建に尽力する。 右腕で外交顧問の以心崇伝は臨済宗の僧。 |
伊達政宗 | 少年時、臨済宗・圓通寺の僧から教育をうける。 菩提寺は臨済宗・瑞巌円福寺。 茶人・古田織部の弟子を仙台に招き、後年仙台藩茶道が確立される。 |
戦国武将と茶
戦国武将のあいだでは「御茶湯御政道」ということばがうまれるほど、茶の湯が政治利用されるようになっていた。
主君の許可を得た臣下のほかは茶を行ってはならないという決まりのもと、茶の湯は統制の道具の一つとなっていた。
風神雷神図屏風(国宝)
建仁寺といえばこの俵屋宗達筆「風神雷神図屏風」。建仁寺が所蔵している。
しかし、残念ながら常時みることはできない。
京都国立博物館に寄託されていて特別展覧会などで公開される。
現在、建仁寺にはレプリカが置かれている。
法堂の双龍図
法堂の天上には2匹の龍が描かれている。
これは、2002(平成14)年に描かれたもの。
国宝
風神雷神図屏風
重要文化財
方丈
勅使門
薬師如来坐像
雲龍図(もと方丈東南の礼の襖に描かれていたもの。海北友松筆)
絹本著色十六羅漢像16幅
ほか
宗派
臨済宗[禅宗]