【護王神社】和気清麻呂をまつる。イノシシ、足・腰祈願の社

◎和気清麻呂を射る祀っている
◎足・腰のご利益
◎イノシシ伝説
◎さざれ石がある

ゆかりの人物:和気清麻呂

和気清麻呂って誰?


和気清麻呂は、奈良時代末期から朝廷に仕えていた貴族。
2つのことで有名。

道鏡事件

奈良時代末期、朝廷は権力争いで荒れていた。

その中で力をつけたのが僧侶の道鏡(どうきょう)だ。
道鏡は、女性天皇の淳仁(じゅんにん)天皇に気に入られとんとん拍子に出世し、法王にまでのぼりつめた。そんな折、朝廷と関係の深い大宰府の宇佐八幡宮から「道鏡を天皇に」との神のお告げがあったと伝えられる。
真偽を確かめに宇佐八幡宮に派遣されたのが、和気清麻呂。
清麻呂は、虚偽であることを確認・報告した。
これに激怒した淳仁天皇と道鏡は清麻呂の足の腱を切って流罪にした。

清麻呂は立てないながら宇佐八幡宮へお礼参りに向かう途中、どこからか300頭のイノシシが現れ、道鏡の刺客から守りながら道案内をした。
お参りを済ませるといのししはいなくなっていて、足も治っていた。

平安京の造営に尽力

淳仁天皇(47代)が没し、781年に桓武天皇(50代)が即位すると清麻呂は出世し、平安京への遷都に尽力した。

「護王」の由来

和気清麻呂をまつった廟はもともと神護寺にあった。
江戸時代の孝明天皇が和気清麻呂に「護王大明神」の神号を贈り、明治天皇が現在の場所に移した。

みどころ ここを見逃すな

和気清麻呂像


台座の「和気清麻呂公」の文字は茶道裏千家前家元千玄室氏の揮毫。

幸運の霊猪


和気清麻呂を助けたイノシシ。
「鼻をなでると幸運が訪れる」といわれている。

「狛イノシシ」


足萎難儀快復の碑


和気清麻呂が足の腱を切られたが、その後回復したことから、足腰の病気やけがの回復を願う。

さざれ石


主祭神

和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)
和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)

護王神社ホームページ

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