【宇治上神社】平等院に比べて地味だが宇治の世界遺産

◎本殿は現存する日本最古の神社建築。
◎宇治神社とは一体。
◎宇治川を挟んで平等院の反対側に位置する。

ゆかりの人物:仁徳天皇(菟道稚郎子の異母兄)、応神天皇(仁徳天皇の父)、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ。仁徳天皇の異母弟)、
創建:平安時代

宇治上神社は地味だが世界遺産

宇治の世界遺産といえば平等院がウルトラ有名であるが、宇治上神社(うじがみじんじゃ)も平等院と同様「古都京都の文化財」の一つである。

宇治上神社の創建年ははっきりしていないが、平安時代927年の法典である『延喜式』のうち全国の神社を紹介する「神名帳」に「宇治神社(二座)」と掲載されている。
二座は上社と下社。
のちに上社が宇治上神社、下社が宇治神社となる。

平等院の創建が1053年なので、宇治上神社はそれ以前には存在していたことがわかる。

宇治上神社は仁徳天皇が起源とされる

仁徳天皇は有名。仁徳天皇は古墳時代の天皇で、仁徳天皇陵でなじみがある。

仁徳天皇の父は応仁天皇。
応仁天皇は仁徳天皇ではなく、異母弟の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を後継指名していた。
ところが菟道稚郎子は皇位を仁徳天皇に譲り、宇治に離宮を建ててこもった。
仁徳天皇も「父は菟道稚郎子に」といったのだからと、皇位につくことはせず譲り合いが続き、皇位の空白時期が3年続いた。

これにより国が乱れ、責任を感じた菟道稚郎子は自殺した。
仁徳天皇は嘆き、宇治の離宮に菟道稚郎子を葬り霊を祀った。

これが宇治上神社のいわれとされている。

宇治上神社の本殿は3棟あり、中殿には祭神・応神天皇、右殿(向かって左)には祭神・仁徳天皇、左殿には祭神・菟道稚郎子がそれぞれ祀られている。

宇治上神社と平等院

宇治上神社は平等院創建後は平等院の鎮守社となった。

宮元健次『京都 格別な寺』によると、位置的に平等院阿弥陀堂から宇治上神社の正面が拝めるようになっている。

宇治上神社の先には仏徳山があり、夏至の日にはそこから日の出が上がる。
そしてその太陽が、阿弥陀堂の阿弥陀如来を照らし出すしくみになっている。

宇治上神社の建造物

本殿【国宝】

11世紀に建てられたといわれ、現存する最古の神社建築。

拝殿【国宝】

鎌倉初期に建てられたもので、拝殿として現存最古のもの。

宇治上神社とうさぎ

宇治上神社のお守りやおみくじなどはうさぎがあしらわれている。
宇治の地名は『古事記』や『日本書紀』の中では「菟道(うじ)」と表記されていた。
宇治上神社のいわれとなっている、祭神・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)のうじも地名からなるもの。
菟は兎とおなじ、うさぎの意味なので、うさぎにちなんだグッズが展開されている。とてもかわいい。


国宝

本殿
拝殿

重要文化財

摂社・春日神社

宇治上神社ホームページ

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