【三千院】京都大原三千院 大原とはどんなところ?

◎極楽浄土を再現している。
◎勢至菩薩・観音菩薩像が珍しく”正座”している。
◎往生極楽院の天井は船底型。
◎実は大原寺院群のなかで一番新しい。

創建:奈良末期から平安初期に延暦寺の別棟として。三千院の名になったのは明治時代

三千院は極楽浄土

三千院の往生極楽院


三千院は極楽浄土をこの世に再現しているといわれる。
その中心が、往生極楽院。
往生極楽院は平安時代に天台宗の源信が父母のために建立したといわれる貴重な建物で重要文化財に指定されている。

もとは別の場所にあり、現在の場所に移ったのは明治時代以降。
こじんまりした建物だが、ここに国宝の阿弥陀三尊像が安置されている。

三千院はなぜ極楽浄土なのか

大原は、声明の中心地だ。
声明はお経に音曲をつけて歌うもので、大原にある多数の寺院の僧侶が声明をとなえるとそこはもう極楽浄土のようで、大原は極楽浄土を表す地となった。

三千院の阿弥陀三尊像【国宝】 勢至菩薩、観音菩薩 なぜ正座?

阿弥陀三尊像は阿弥陀如来(中心)、勢至菩薩(向かって左)、観音菩薩(右)の3体。
極楽浄土から、亡くなった信者を迎えに来ている様子が表現されている。
勢至菩薩は合掌して死者を迎える姿、観音菩薩は死者を蓮台(往生する者が乗る台)に乗せる姿をしている。

この像には大きく二つの特徴がある。
サイズ
勢至菩薩、観音菩薩は阿弥陀如来の眷属(付き人)で、通常は阿弥陀如来の1/2、1/3位のサイズだが、往生極楽院の2体は大きめ。
座る姿勢
勢至菩薩、観音菩薩は通常は立像か胡坐が多い。
しかし往生極楽院の2体は”正座”している。
“正座”は正式には「大和坐り(やまとすわり)」といい、上半身を少し浮かせて前かがみの姿勢をとっている。

この姿勢がまさに今立ち上がろうとしているところなのか、いつでも立ち上がれるように待機しているところなのか、救いを終えて座るところなのかはわからない。

三千院の往生極楽院 天井が船底型なのはなぜ?

三千院の往生極楽院の天井は船底型になっている。
建物がこじんまりしていて、そのなかに比較的大きな阿弥陀三尊像が安置されているので、空間を確保している。
また、そこには極楽浄土を表現し菩薩などが雲に乗っているような天井画が描かれていて、天空を浮遊しているようなイメージになっているという。
現在はよく見えない。
原寸大で再現された天井と極彩色で描かれた画が寺院内にある円融蔵展示室で見ることができる。

パンフレットより

大原三千院の大原とは

三千院のある大原は京都でも特別な雰囲気を感じる場所だ。
京都市内から離れた山奥の隠れ里のようだ。
また、大原三千院周辺にはいくつかの寺院が集まっているのも特徴の一つ。
・勝林院(しょうりんいん)
・法泉院(ほうせんいん)
・実光院(じっこういん)
・来迎院(らいごういん)

これには理由がある。

大原にはなぜ寺院が固まっているのか

それは天台宗の比叡山延暦寺と関係がある。
大原は、比叡山延暦寺から少し北にいったところにある。

大原は古くから朝廷とゆかりがあり、比叡山延暦寺の影響をうけてひらけた場所。

平安時代中期、藤原道長が権力をもち、源氏・平氏が台頭するなど、飢饉や戦で国は荒れていた。
その折、延暦寺の僧は俗化し、仏法守護を名目に武装し戦闘に従事するようにさえなっていた。
それに疑問を抱いた僧たちは、大原の山に移り修行に打ち込んだ。
最盛期には49もの寺院が建ったといわれる。
その中心となったのが現在の寺院群。

三千院の起こり

「三千院」という寺院になったのは明治時代。

三千院の起源は平安時代、最澄が比叡山延暦寺を創建した時に近くに建てられた別棟。
平安後期には、皇室・貴族が住職を務める門跡寺院となった。
以降、比叡山から幾度か移転し、名前も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井門跡と変え、京の都で栄えた。
ところが、室町時代の1467年、応仁の乱が起こり焼失した。

寺院は京から大原に移った。
大原には、比叡山延暦寺が設置した政所があり、そこを仮御殿としたのだ(これが後の三千院になる)。
政所は、平安時代に比叡山から多くの僧が大原に移り最盛期には49もの寺院が建ったことで、比叡山が大原を統轄する目的で1156年に設置した管轄機関。

江戸時代になると京の都に戻った。
明治4年、再び大原に移転し、その時に三千院と称されるようになった。
三千院は円融房であった時の持仏堂の名で、そこからとられた。
三千院はもともと政庁だったところが寺院となったというわけだ。

三千院の庭

三千院には二つの庭がある。

有清園(ゆうせいえん)


往生極楽院を囲むように苔が広がっている。


童地蔵(わらべじぞう)がところどころにいる。彫刻家の杉村孝作。

聚碧園(しゅうへきえん)


江戸時代の茶人 金森宗和(かなもりそうわ)作庭とされる。


国宝

阿弥陀三尊像

重要文化財

往生極楽院
往生極楽院壁画
不動明王立像
救世観音半跏像
音律
調子口伝
宮中御懺法講絵巻
ほか。

京都府指定文化財

阿弥陀聖衆来迎図

宗派

天台宗

日本のおもな宗派

密教系天台宗
真言宗
浄土宗系浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系臨済宗
曹洞宗
黄檗宗


三千院ホームページ

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