【六道珍皇寺】小野篁、閻魔庁官僚伝説

◎「あの世」と「この世」の境目に位置している
◎小野篁伝説がある。

ゆかりの人物:慶俊僧都(きょうしゅんそうず。開祖。弘法大師の師)、小野篁
創建:平安時代

珍皇寺は六道世界の入り口

六道珍皇寺は、建てられている位置に意味がある。

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)が建てられている場所は、死者を埋葬する山、鳥辺山へ向かう通り道にある。

鳥辺山は天平時代に、僧の行基がこの山腹に阿弥陀堂を建てた山。平安時代の以前から京都の人々は亡骸を鳥辺山の麓に置いたという。

京の街で亡くなった者がこの道を通ることが普通になっていたことで、この辺りは生と死の境界ととらえられるようになり「六道の辻」とよばれるようになった。

六道の辻に建てられた寺が珍皇寺だ。

六道
六道は仏教用語で、輪廻転生する際にこれまでの行いによって決められる世界で、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅(阿修羅)道・人道(人間)・天道の六種。
どの道に生まれ変わるかを裁定するのが閻魔大王だ。

小野篁伝説

小野篁と閻魔大王

小野篁(おののたかむら)は平安時代に実在した人物。
貴族であり、日本一の書家ともされる小野道風(おののとうふう)は孫で、小野小町の祖でもある。
高級役人であり、学問や和歌にも長けていたが、一方で強い個性をもち周囲とのトラブルも絶えず「野宰相」「野狂」などともよばれた。

そんな篁には噂があった。
昼はこの世の役人として、夜は冥府に行って閻魔大王につかえる役人として勤めていたという。

その篁がこの世から閻魔庁へ行くのに使っていたのが珍皇寺本堂裏庭にある井戸だという。

現在は裏庭には出られない。

また、近年旧境内で帰りに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された。

篁堂


珍皇寺には小野篁像を安置する閻魔・篁堂がある。
この堂には、小野篁と鬼のほか、閻魔大王、弘法大師空海の像も並んでいる。

空海の像があるのは、開祖について慶俊僧都のほかに諸説あり空海によるとされる一説があることからと思われる。

六道珍皇寺の梵鐘

六道珍皇寺の梵鐘はみえない。
鐘楼の壁に囲まれていて露出していないのだ。
壁から紐が出ていて、それを引くと鐘が鳴るしくみになっている。

この鐘の音は冥土まで届くといわれている。

六道珍皇寺の三界萬霊供養塔


三界萬霊塔とは、この世のあらゆる生命あるものの霊を、供養するために建立された塔。
三界(さんがい)」とは、仏教の世界観で私たち衆生(しゅじょう)が生まれてから死に至るまでの三つの世界のこと。
欲界・色界(しきかい。欲がなくなった世界)・無色界(むしきかい。物質を超越した精神の世界)。
萬霊(ばんれい)」は三つの世界すべてのこと。


宗派

臨済宗[禅宗]

六道珍皇寺ホームページ

関連記事