◎「へそ石」がある。
◎聖徳太子が建立した。
◎本堂が六角形。「へそ石」も六角形。
◎華道家元・池坊の発祥の地。
ゆかりの人物:聖徳太子(創建)、嵯峨天皇(勅願所に指定)
創建:飛鳥時代(言い伝え)
京都の中心、町衆の役所的存在
平安時代には格の高い寺だった
六角堂(六角堂)の正式名は紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)。
京都の中心である京都御所から少しずれて1ブロック南にある。
平安時代には、清水寺や延暦寺などと同じような格の高いお寺だった。
一方、同時に庶民の信仰も集めていた。
室町時代、応仁の乱から町衆が再建
1477年に終わった応仁の乱で消失したが、町衆が中心となって再建され、”役所的”な機能ももつようになった。
町衆は新しい仏教の法華宗を信仰し、既存の宗派と対立した。
法華宗は現世の利益や欲望を認める考え方で町衆の願いに応えるものだったのだ。
1536年、法華と延暦寺との戦いが勃発、法華は敗北した。
敗北したものの、六角堂は残った。
六角堂の六角とはなにか
六角は六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生じる六欲のこと。
これらを捨て去って角をなくして円満になるようにとの願いが込められている。
京都の中心「へそ石」
へそ石がなぜ”へそ”なのか、なぜ一つだけあるのは定かではない。
わかっているのは、へそ石はもともと六角通の真ん中にあったものが、1877(明治10)年車が通るようになったため現在の場所に移されたということ、昭和になって埋め込まれたということだ。
聖徳太子が建立
飛鳥時代、聖徳太子が四天王寺を建てるための材木を探しにこの地に来た。
池で水浴びをしていたら持参した如意輪観音から「ここで人々を救済するように」とのお告げがあった。
これを受けて聖徳太子が587年に建てたのが六角堂の始まりとされている。
本堂には聖徳太子の念持仏と伝わる如意輪観音坐像が安置されている(秘仏)。
太子堂には聖徳太子2歳の像、物部守屋と戦った騎馬像などが安置されている。
華道家元・池坊はここから始まった
15世紀、専慶という司僧が、如意輪観音に花を供えていた。
専慶の活花は評判をよび愛好家がこぞって賞賛するようになった。
この専慶が池坊の祖とされる。
日本遺産 西国三十三所
西国十八番札所、洛陽一番札所
宗派
天台宗系単立寺院