【二尊院】釈迦如来、阿弥陀如来。生まれてから死後まで面倒をみてくれる。

◎釈迦如来、阿弥陀如来の二尊が祀られている
◎法然が住んでいた。
◎嵯峨三名跡の一つ。
◎天皇家、宮家との関係がある。
◎「紅葉の馬場」が名所。

ゆかりの人物:嵯峨天皇(勅願所に指定)、法然(再建)。
創建:平安時代

釈迦如来と阿弥陀如来で二尊院

寺院の本尊は1体のところが多いが、二尊院は2体を本尊としている。
それも釈迦如来と阿弥陀如来。
釈迦如来は仏教の祖:釈迦の像で、ほとけさま中のほとけさま。
「善の気持ちを持って、人生を楽しく悔いのないように行きましょう。なにも畏れることはない」と説いている。

阿弥陀如来は人の死後「一生懸命生きてきた人々よ、極楽浄土へいらっしゃい」と迎えてくれる。

つまり二尊院には、生まれてから死後まで面倒をみてくれる仏様が祀られているのだ。

二尊同じ大きさで区別がつきにくいが、向かって右が釈迦如来、左が阿弥陀如来。
奈良の仏師の作とされる。

嵯峨三名跡。嵯峨天皇が命じ創建、法然が再建した

二尊院は嵯峨三名跡にあげられている。
大覚寺、天龍寺に並ぶ重鎮といえる。

二尊院が名跡とされるのは二つ理由がありそうだ。
1.浄土宗の祖:法然が住んだ。
2.天皇家との関係がある。

二尊院には法然が住んでいた

二尊院は、平安時代の嵯峨天皇が命じて建てられた華台寺(かだいじ)が前身。
荒れた華臺寺を再建したのが法然。
二尊院の正式名称は「小倉山二尊教院華臺寺」だ。

法然は平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、「南無阿弥陀仏」と唱えればだれでも往生できると説いた、浄土宗の祖。
法然は二尊院に住み法を説いた。
法然の教えは貴族らの信望も集めた。

浄土宗、天台宗、真言宗、律宗、の兼学の道場だったが、明治維新後天台宗のみになった。

二尊院と天皇家

南北朝の頃から明治維新まで京都御所の御内仏殿のお守りと御所内の御仏事を務めていたそう。

二尊院に関係している天皇は
・創建を命じた嵯峨天皇(平安時代)
・天皇が仏門に入る際、二尊院の僧が師となった鎌倉時代の6天皇。
・二尊院に分骨が納められている鎌倉時代と室町時代の4天皇。

二尊院と関係する天皇

二尊院は旧宮家らの菩提寺

旧宮家の、鷹司家、二条家、三条家、四条家、三条西家、嵯峨家。
角倉了以らの墓がある。
角倉了以は安土桃山時代から江戸時代の嵯峨嵐山に土地を所有していた豪商。

二尊院のみどころ

総門【京都市指定文化財】

唐草模様、数珠入り三つ巴紋、桃の巴蓋瓦などの図柄がほどこされている。
2014年に江戸時代の柄が復元されている。

紅葉の馬場 紅葉の名所

二尊院は紅葉で有名。
総門をくぐった先の参道の両脇に紅葉と桜の木が植えられていて、小倉山を背景に紅葉のトンネルが広がる。

総門は角倉了以(すみのくらりょうい)によって伏見城の薬医門を移築・寄進されたもの。

勅使門

天皇の使い:勅使のための門。
天皇に関係の深い二尊院ならでは。

本堂【京都市指定文化財】

二尊(釈迦如来、阿弥陀如来)が安置されている。
「二尊院」の扁額は後奈良天皇の自筆によるもの。1521年再建時に掲げられた。
現在の建物は2016年に大改修されたもの。

八社宮【京都市指定文化財】

伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の八社を祀っている。
境内の北東に建つ。北東は鬼や邪鬼が出入りする表鬼門にあたる。
室町時代末期の建築。

湛空上人廟

法然の門弟で二尊院の第三世:湛空(たんくう)上人の碑が収められている廟。
碑堂【京都市指定文化財】は室町末期の建築。

鐘楼:しあわせの鐘

1992年に作り直した際、「しあわせの鐘」と名づけられた。鐘は下記を願い三つつく。
①自分が生かされている幸せ、②自分のまわりの生きとし生けるものへの感謝、③世界人類のしあわせ

茶室「御園亭」

後水尾天皇(108代、江戸時代の天皇)の娘:賀子内親王のお化粧の間が移築されたもの。
春と秋に期間限定でお茶がいただける。


重要文化財

木造釈迦如来立像
阿弥陀如来像
ほか

京都市指定文化財

本堂
総門
八社宮
湛空上人廟

宗派

天台宗

日本のおもな宗派

密教系 天台宗
真言宗
浄土宗系 浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系 臨済宗
曹洞宗
黄檗宗

二尊院ホームページ

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