◎妙心寺派は臨済宗の最大宗派
◎塔頭が40余りある
◎八方睨みの「雲龍図」がある
◎一度途絶え、復活した
◎「紫衣事件」の際徳川幕府の「禁中並公家諸法度」に抗議した
ゆかりの人物:花園法皇(創建)
創建:南北朝時代
妙心寺派は臨済宗の最大宗
広い敷地に七堂伽藍
妙心寺は広い。10万坪あり東京ドームのグラウンド25個分だそう。
ここに禅宗で主要な建築物七堂伽藍がそろっている。
七堂伽藍は三門・仏殿・法堂(はっとう)・庫院・僧堂・浴室・東司だ。
三門
仏殿
法堂
浴室(明智風呂)
戸口の上に蟇股(かえるまた)と唐破風(からはふ)がついている。蒸し風呂形態の浴室。
明智光秀の叔父で塔頭大嶺院の住職が光秀の菩提を弔って創建した。
塔頭が多くある。石庭で有名な龍安寺は境外塔頭
さらに、塔頭が40余り建っている。
塔頭は寺院のなかにある子院といったもの。
慣例として、将軍が建てた禅寺では、大名は忠誠を誓うしるしにそのなかに争うように塔頭を建てることが多かった。
妙心寺を創建したのは将軍ではないが、塔頭は細川氏などの有力武将によるものが多い。
ほか、財力をもつ公家、商人などがスポンサーとなって建てる。
塔頭が多いということは信仰する者が多いといえる。
武将が地元に妙心寺派を持ち帰って広まったことも最大宗派に拡大した背景の一つ。
どこまでも続く塔頭の塀
妙心寺 雲龍図
法堂の天井に狩野探幽筆が描いた雲龍図がある。
妙心寺パンフレットより
狩野探幽は、江戸時代の狩野派の天才絵師。
法堂内のどの場所から見上げても龍と目が合うように描かれていて「八方睨みの龍」ともよばれる。
龍は想像上の存在で、口はワニ、髭はなまず、角は鹿、胴からしっぽは蛇、胴のうろこは鯉、爪は鷲または鷹を参考にしたといわれている。
入口付近から見上げると登り龍、出口付近から見上げると下り龍にみえる。
妙心寺の算盤面
京都の禅寺には、その特徴をとらえて異名をもつ寺院がある。
大徳寺の茶人面:塔頭の多くに茶室が設けられている。
南禅寺の武家面:徳川家康が再興し武将の信仰を得ていた。
相国寺の声明面(しょうみょうづら):お経を読む声が美しい。
建仁寺の学問面:学問や文学に秀でた禅僧を排出した。
東福寺の伽藍面:京都で最大規模の伽藍があった。
そして妙心寺は算盤面(そろばんづら)。
妙心寺は応仁の乱で焼失した。これを復興したのが雪江宗深住職。
雪江は毎年1年決算の帳簿「米銭納下帳」を作成し、経済基盤を確立した。
会計の記録は明治時代まで400年間続いたという。
融資も行うなど経済システムが整っていたことから、そう称される。
妙心寺は一度途絶えている
妙心寺は南北朝時代に花園天皇によって創建され、室町時代に一時途絶えている。
これは足利義満との関係による。
足利義満と大内義弘の戦い、応永の乱のとばっちり
足利義満は、南朝vs北朝で争っていた南北朝を統一した室町第3代将軍だ。
義満は北朝側の朝廷一員となりそのなかで最大の権力者となり南朝を抑え、統一を完成させたのだ。
義満は将軍職は早々に息子に譲り、自らは出家し、武将・朝廷・宗教すべての分野での最高権力を握った。
そんな義満が妙心寺を敵視し、寺院を没収し義満に近い天台宗の青蓮院(しょうれんいん)の所管としてしまった(1399年)。
当時義満は大内義弘と争っており(応永の乱)、妙心寺の拙堂宗朴(せつどうそうぼく)住職が大内氏の味方をしたというのが理由だった。
【金閣寺(鹿苑寺舎利殿)をつくった足利義満】どんな人物なのか
◎金閣はなぜ金なのか。なぜこんなにかっこいいのか ◎なぜこのような建物が造られたのか その答えは 金閣寺を造った足利義満が最高の権力者で、最高の文化・芸術に投じる資産を潤沢にもち、それを自らの存在のシンボルとしたから。 金閣寺には足利義満の趣向・意図がふんだんに体現されてい...
寺名が龍雲寺に
妙心寺はその後南禅寺に移り、寺名を龍雲寺(りょううんじ)と変えられ、途絶えた(1403年)。
1408年に義満は死去。
足利6代将軍・足利義教の時代の1432年、妙心寺は南禅寺から返還された。没収されて34年後だった。
徳川幕府が朝廷、寺院をコケにして発生した「紫衣事件」で幕府に抗議
徳川第3代秀忠の時代、朝廷を幕府のコントロール下におこうと強権を発動した有名な事件に「紫衣事件」がある。
「紫衣事件」の概要は次の通り。
徳川幕府は、朝廷を幕府のコントロール下におこうと「禁中並公家諸法度」を制定した。
これまで天皇が行ってきた高僧に紫の法衣、紫衣を与えることさえ幕府の許可が必要とされるようなものだった。
これにたいし当時の天皇・後水尾天皇は従わず以前の通り幕府の許可を得ることなく大徳寺などの僧に僧衣を授けた。
幕府はこれを問題視し、住職らは抗議したものの、幕府は住職を厳罰処分とした。
また、後水尾天皇は幕府へ通告することなく、譲位を行った。
この時、抗議したのが妙心寺と大徳寺の僧だ。
妙心寺の建築物
妙心寺は広大で、多くの塔頭があるが、ほぼ非公開。
塔頭・退蔵院は広く公開されている。
北総門
大方丈
浴鐘楼(よくしょうろう)
入浴時間を知らせる鐘。
国宝
黄鐘調鐘(おじきちょうのかね)
重要文化財
三門
仏殿
法堂
寝堂
浴室
など
宗派
臨済宗
日本のおもな宗派
密教系 | 天台宗 |
真言宗 | |
浄土宗系 | 浄土宗 |
浄土真宗 | |
日蓮宗 | |
禅宗系 | 臨済宗 |
曹洞宗 | |
黄檗宗 |