◎豊臣秀吉の墓
◎明治時代に再建された
ゆかりの人物:豊臣秀吉
創建:安土桃山時代
豊国廟は豊臣秀吉の墓
豊国大明神・豊臣秀吉は阿弥陀ヶ峰の山頂に葬られている。
阿弥陀ヶ峰は、奈良時代に僧の行基が阿弥陀如来を安置して開いた葬送の地だ。
阿弥陀如来は極楽浄土につれていってくれる仏で、秀吉は生前深く信仰していた。
秀吉は遺言で、神として祀られるよう火葬せず棺に収めること、阿弥陀ヶ峰に埋葬することを命じていた。
明治30(1897)年この遺体が掘り起こされた。
秀吉没後300年行事の一環で再建工事が進められており、その時に壺が発見された。
壺のなかには全身骨格で座禅を組んだ姿で西を向いた遺体が葬られていた。
この遺体は秀吉のものに間違いないと考えられている。
残念ながら遺骨は移動させようとした際に崩壊した。
現在の豊国廟は再建された時のもの。
徳川家康の時代に荒廃し明治時代に再建
徳川家康の政権になると豊国大明神の神号ははく奪され、豊国廟は盗掘されるなど荒廃した。
明治時代になると明治政府の国家神道と日本国の神・豊国大明神のイメージがマッチし再興されることになり工事が始まった。
鳥辺野(とりべの)にある豊国廟
阿弥陀ヶ峰の山麓付近とその周囲は鳥辺野といわれ、遺体置き場であった。
豊国廟へは数百の階段を昇っていくが、昼間でもうすぐらく独特の雰囲気がある。