◎平清盛に寵愛され飽きられた女性大衆芸人=祇王が住んだ。
ゆかりの人物:平清盛、祇王(ぎおう 清盛に寵愛された白拍子)
創建:平安時代
祇王は平清盛に寵愛され飽きられた女性芸能人
祇王は平清盛が寵愛した女性大衆芸人。
平清盛と祇王のエピソードは『平家物語』に登場する。
清盛が「平家でなければ人にあらず」といわれた全盛期の頃の話。
隆盛を誇っていた清盛は連日連夜自宅で酒宴を開き、そこで歌い踊る女性を多くかかえていた。
女性たちは流行歌を歌い新しい舞をする大衆芸能人で「白拍子」とよばれていた。
男性が着用する簡易な白絹の衣装身で踊ったことからそうよばれるようになった。
多くの白拍子のなかで最も清盛のお気に入りだったのが祇王だ。
祇王は、清盛から自宅敷地に豪華な屋敷を建ててもらい、妹の祇女(ぎじょ)・母の刀自(とじ)と住み、月給も与えられるなど特別な待遇を得ていた。
ところが、3年もするとその地位を若い白拍子=仏御前(ほとけごぜん)に奪われる。
清盛に見放された祇王らが隠れ住んだのが嵯峨野にある現在の祇王寺(ぎおうじ)だ。
祇王は極楽浄土の嵯峨野へ
平安時代、嵯峨野は極楽浄土(天国)と見られていた。
極楽浄土は西方にあると信じられていて、嵯峨野は京の西方向にあったからだ。
祇王らは死後の極楽浄土への一つ前段階として嵯峨野に向かい、そこの往生院に移り住んだのだ。
なんと仏御前が合流
祇王・祇女・刀自が潜み暮らしている往生院に、なんと仏御前が一緒に住みたいと訪れた。
仏御前はすでに尼の姿になっていて、祇王らも受入れ、以後4人で往生院で暮らすことになった。
往生院祇王寺として再興
祇王らが住んだ往生院は荒れ果て、明治になってから再興され往生院祇王寺と名づけられた。
祇王寺の本堂には、祇王・祇女・刀自・仏御前の像が安置されている。
また、中心に安置されている本尊:大日如来の隣には清盛の像も置かれている。
捨てられたとはいえ、栄華の時期を経験させてもらったパトロンへの一応の敬意なのか、みせしめなのか。
祇王と本尊の間で窮屈そうに隠れている。
宗派
真言宗
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