◎大徳寺の塔頭のなかで一番古い
◎滹沱底(こだてい)、東滴壷(とうてきこ)、一枝担(いっしだん)、龍吟庭(りゅうぎんてい)とそれぞれ特徴をもつ庭がある。
◎豊臣秀吉と徳川家康が伏見城で対局したといわれる碁盤がある。
◎日本最古の種子島銃がある。
ゆかりの人物:畠山義元、大友義親(創建)
創建:室町時代
大徳寺には塔頭(子院)が20以上ある。
常時公開しているのは4院で、龍源院はその一つ。
【大徳寺 塔頭】戦国大名、僧・天皇による創建など20以上
ひとくちに「大徳寺」といっても、お寺一つがあるわけではない。 大徳寺には塔頭が20以上もあり、それらを全部合わせて大徳寺だ。 塔頭は、高僧が引退後に敷地内に建てたり、大名・武将や豪商がスポンサーとなって菩提寺として建てたりする寺。 大徳寺の塔頭のうち半分以上が戦国大名によって建てられている...
大徳寺龍源院 方丈【重要文化財】のみどころ
部屋
大徳寺龍源院の方丈は、室町時代の禅宗方丈建築として、唯一完全な状態にある。
方丈内には次のような部屋がある。
礼之間
和尚と修行僧らが集まって公式のお茶会などを行ったところ。
また大名公家のお供が控えたところ。
室中
時代、作者不明ながらみごたえのある龍の図がある。
檀那(だんな)の間
檀家さんらや和尚がお茶を飲むところ。
眠蔵(みんぞう)
禅僧が畳で眠り、座禅をしたところ。
銘狐窟
困った人々を助けていたのは南宗寺の和尚に姿を変えた狐だった、という言い伝えを画にした屏風がある。
南宗寺は堺の寺で大徳寺派の寺院。
明治時代の画家・鈴木松年の筆による。
公開宝物
徳川家康が豊臣秀吉と伏見城内で対局したときに使用されたとされる碁盤
日本最古の種子島銃
大徳寺龍源院の枯山水庭園
大徳寺龍源院にはそれぞれ特徴のある庭が方丈を囲んでいる。
滹沱底(こだてい)。別名、阿吽の石庭
臨済宗の開祖、臨済禅師が住んでいた中国の寺の南を流れる川、滹沱河にちなむ。
左右に広く、向かって右が「阿(あ)」の石、左が「吽(うん)」の石とされ「阿吽の石庭」ともいわれる。
石は豊臣秀吉が建て破壊した聚楽第のものと伝わる。
東滴壷(とうてきこ)
日本で最少の石庭。
作庭は昭和時代の庭園研究家・鍋島岳生。
平たい石に雨滴が落ちるように設計されている。
一枝担(いっしだん)
龍源院開祖の室号「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」が由来。神仙蓬莱思想の庭。
蓬莱山を中心に、亀島、鶴島が配されている。
蓬莱山は仙人の住む不老長寿の島。白砂は大海原を表す。
龍吟庭(りゅうぎんてい)
極楽浄土思想の庭。
中心に置かれる3本の石がメインで、大きな石の左右にこぶりの石を組む三尊石組式。
真ん中が須弥山を表す。
須弥山は仏教の世界観で、世界の中心にそびえていると考えられている山。
須弥山の石は四国の青石で、緑と白の層の鮮やかさと質感による高級感が特徴。
庭を横から見ると、動きのある配置になっているのがわかる。
【大徳寺】一休と利休がいたお寺
◎一休、利休が歴史上に登場 ◎茶道のメッカ ◎織田信長の葬儀を豊臣秀吉が行った ◎戦国武将の塔頭がある。 ◎黄金分割の方丈庭園 ゆかりの人物:一休宗純、千利休、豊臣秀吉 創建:鎌倉時代 大徳寺のキーマン 一休、利休 大徳寺の歴史をみるにあたり、有名な2...