【大徳寺】一休と利休がいたお寺

◎一休、利休が歴史上に登場
◎茶道のメッカ
◎織田信長の葬儀を豊臣秀吉が行った
◎戦国武将の塔頭がある。
◎黄金分割の方丈庭園

ゆかりの人物:一休宗純、千利休、豊臣秀吉
創建:鎌倉時代

大徳寺のキーマン 一休、利休

大徳寺の歴史をみるにあたり、有名な2人の「休」に注目してまとめた。
一休:大徳寺の僧で、室町時代の人物。
利休:茶人で戦国時代、安土桃山時代の人物。

一休は大徳寺の危機的状況を救った

一休和尚とは

室町・戦国時代に活躍した臨済宗の僧。
「一休とんちばなし」のモデルとなった。
一休宗純(そうじゅん)という実在の人物だ。

一休宗純は室町時代の1474年、81歳で大徳寺の住職になった。

その頃の大徳寺は1467年からの応仁の乱により焼けつくされ荒廃していた。
この状況を一休が資金を調達して立て直しを実現したのだ。

なぜ一休は復興の資金が調達できたのか。
それは、一休が日本有数の貿易港・堺の商人との関係をもっていたことによる

一休和尚と大徳寺と堺の商人の結びつき

一休和尚は大徳寺の住職になる以前から堺の商人と結びついて大徳寺を盛り立てていた。
そのような関係ができたのには大きく二つが考えられる。

1)大徳寺は”自由な寺”であり自前で運営資金を賄う必要があった。

大徳寺は政権の庇護をうける格付けTOP5・五山のランキングから陥落した。これを機に五山制度から抜け”自由な寺”となる道を選んでいた。

自由というのは、予算が与えられないということで、自前の資金調達が必要だった。

2)堺は権威主義的な五山の寺院とは別のタイプの禅寺を求めていた。

堺は交易の地で、明や朝鮮との商いで栄えており、豪商とよばれる有力者が多くうまれていた。
政治的には守護の支配をうけておらず、年貢は自前で集め使途を決めるなど、独立志向が強い土地柄だった。

その土地で、一休は時の天皇である後小松天皇の子といわれていながら、僧が禁じられている肉や酒を食したり、女性と同棲したりなど「風狂」とよばれる一風変わった僧として知られていた。また一方で、権力にこびず、慈悲の心を強く持つ反骨の僧侶として人々に慕われたともいわれる。

この両者が良好に結びつき、大徳寺・一休は堺の商人の信奉をあつめ、多大な寄付をうけることになった。

そもそもなぜ大徳寺は五山から陥落したのか。

大徳寺はなぜ五山から陥落したのか

大徳寺は当初五山一位のさらに上のランクにあった。
これが、五山の下十刹の第九位に陥落したのだ。

大徳寺は天皇の寺だった

創建当初、大徳寺は天皇の寺であった。
創建は鎌倉時代の1319年。
大燈国師宗峰妙超(だいとうこくししゅうほうみょうちょう)によって開かれた。

この時の天皇は後醍醐天皇。

後醍醐天皇は大徳寺を深く信仰し、私寺として指定した。
これにより大徳寺は皇室の寺となり五山一位のさらに上となった。

後醍醐天皇といえば、南北朝時代・南朝の天皇で、武家の足利尊氏と権力を争っていた。

この争いは、足利尊氏が勝利し尊氏は室町幕府を樹立した。
権力が後醍醐天皇から尊氏に移ったわけだ。

「朝廷側の大徳寺」 vs 「武家政権側の五山の寺」

足利尊氏は大徳寺ではなく、別の派を信仰した
この影響で、五山制度の見直しの際、大徳寺は五山の下十刹の第九位に陥落したのだ。

「朝廷・大徳寺 vs 武家政権・五山の寺」の構図のなかで、大徳寺は政権には寄らず独自の道を進むことを選び、五山制度から脱退した。

大徳寺は、政権からの保護・政権への服従と引き換えに”自由な寺”となったのだ。

利休は大徳寺の大檀越(スポンサー)だった

千利休とは

一休宗純なき後、大徳寺をもりたてたのが千利休だ。
千利休は戦国・安土桃山時代に活躍した茶人。
堺の干魚商人で大問屋の出身。
いわゆる堺の豪商であり茶人で、大徳寺の住職・古溪宗陳(こけいそうちん)の禅の弟子だった。
古渓宗陳も堺に縁のある僧だ。
宗陳は大徳寺住職になる前、堺にある南宗寺(なんしゅうじ)の住職であった。

利休は、宗陳を支援する大スポンサーで、応仁の乱以後修理できていなかった大徳寺の三門の2階部分・金毛閣を増築し寄付した。
(この金毛閣に利休の木像が安置されたことで秀吉の怒りをかったことが、利休が切腹に追い込まれた要因の一つともいわれている)

大徳寺には千利休の墓があり、茶のメッカとなっている。

なぜ利休はそこまで存在感があったのか。

利休は織田信長、豊臣秀吉の茶の師匠だった

茶は武家の間で流行していた。
武家が信奉する禅宗・臨済宗では「禅は茶と一体」という考え方が浸透していたからだ。

茶道は独特の作法と多種の道具、しつらえなど目利きがものをいう世界で、卓越した美のセンスをもつ利休は権力者に重宝され、商人としての利益もあげていた。

信長は茶道を政治的に利用した。
自分が許可して初めて茶の湯ができるシステムをしき、茶席をしきることで仕える武士たちの人心をコントロールした。

秀吉はこのシステムを「御茶道御政道(おんちゃのゆごせいどう)」と表し、引き継いでいった。

また、堺の商人は南蛮貿易で戦国武将に武器弾薬を調達するようになり、堺の商人でもあり茶人でもある人物は政権にくいいっていった。

茶と大徳寺

大徳寺の塔頭にはほぼ茶室がある

大徳寺には20以上の塔頭(子院)がある。
ほぼそれぞれが茶席をもっている。

塔頭の一つ聚光院には利休の墓碑があり、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の墓所となっている。

大徳寺と茶の関係は深い。

大徳寺と堺の茶人を結び付けたのは一休

最初に堺の商人である茶人と大徳寺を結び付けたのは一休和尚だった。
一休和尚を信奉していた人物に村田珠光(むらたじゅこう)がいた。
村田珠光は茶道を考案したとされる僧で堺の出身。
茶と禅は一体「茶禅一味」の考えを生んだ人物。

珠光の茶道の弟子には堺の商人が多かった。

珠光やその弟子たちが一休を介して大徳寺と密接に結びつくようになった。

豊臣秀吉、織田信長の葬儀を大徳寺で行う

織田信長が本能寺の変で殺害されたのち、信長の葬儀をとりしきったのは豊臣秀吉だった。
秀吉は葬儀を大徳寺で行った。

なぜ大徳寺だったのか。

これには大徳寺と深く結びついていた堺の商人(であり茶人)、秀吉それぞれの事情があった。

堺の商人の事情:堺では日蓮宗が台頭してきており禅宗が押されていた。大徳寺(禅宗)で信長の葬儀が行われれば、大徳寺の地位があがり禅宗の勢力も高まるとみこみ、ぜひとも大徳寺に葬儀を”誘致”したかった。

秀吉の事情:豊かな財力をもつ堺の商人と良好な関係をもつのは得。
それが大徳寺を舞台にすることで実現するならベスト。

双方をつないだキーパーソンが利休だったともいわれる。

一休、利休の名になぜ「休」がついているのか

大徳寺の有名人が”休”シリーズになっているのには理由がある。
大徳寺を創建した「大燈国師宗峰妙超(だいとうこくししゅうほうみょうちょう)」が残した書「自休」に由来する。
自休とは「これから荒波に漕ぎ出していく前に一度立ち止まって自分で行うことをよく考えよ。」といった意味だそう。
大燈国師自筆の「自休」の額が大徳寺塔頭・黄梅院内にかかっている。

千利休は千宗易の法名をもっていた。
豊臣秀吉が禁中で茶会を開いた時、正親町天皇からくだされたもの。
名を考えて薦めたのは古溪宗陳とされている。

大徳寺には塔頭が24ある

ひとくちに「大徳寺」といっても、お寺一つがあるわけではない。
大徳寺には塔頭が20以上もあり、それらを全部合わせて大徳寺だ。
塔頭は、高僧が引退後に敷地内に建てたり、大名・武将や豪商がスポンサーとなって菩提寺として建てたりする寺。

大徳寺の塔頭のうち半分以上が戦国大名によって建てられている。

そのうちの一つの「総見院」が織田信長の菩提寺。

戦国大名の塔頭が多くあるのは

戦国大名による塔頭には、独自にグローバルな交易を行い富を得ていた大友宗麟のような地方の大名が京都の拠点を兼ね創建したり、豊臣秀吉が織田信長の菩提寺「総見院」を創建したことをきっかけに秀吉に忠誠心を表そうと大名らが寄進したりしたことなどで数が増えたと考えられる。

大徳寺塔頭と茶席

常時公開なのは4カ所。ほかは非公開が多い。
特別公開を楽しみに待ちたい。
塔頭にはほぼ茶室が併設されており、大徳寺には日本一多くの茶席がある。
塔頭の詳細は↓

大徳寺の建築物と宝物

大徳寺は国宝、重要文化財などがあるが、ほぼ公開されておらず残念。
特別公開を待つ。

三門(金毛閣)【重要文化財】[非公開]


三門の2階部分は千利休が寄付したもので「金毛閣」とよぶ。
そこに千利休の木像が安置され、秀吉の逆鱗に触れた。
天井と柱絵は長谷川等伯によって描かれた。
当時絵師は狩野派の独占状態であったが、ここは等伯が担当している。
この背景にも堺の商人の存在があると考えられる。

仏殿【重要文化財】[非公開]


内部には釈迦如来坐像が安置されている。

法堂【重要文化財】[非公開]


天井に狩野探幽筆の雲龍図(鳴き龍)が描かれている。

唐門【国宝】[非公開]

本坊方丈【国宝】[非公開]

本坊方丈庭園[非公開]


国宝

唐門
本坊 方丈
大仙院 方丈
龍光院 茶室 密庵席
大燈国師(宗峰妙超)頂相。画
後醍醐天皇宸翰(直筆書) 御置文。書
山水図
猿図・鶴図。牧谿筆。牧谿は中国・宋の僧で水墨家。日本の絵師はお手本とした。
観音図。牧谿筆。
龍光院 耀変天目茶碗
など。

重要文化財

三門
仏殿
法堂
など。

史蹟・特別名勝

方丈庭園
大仙院 本堂東庭園

宗派

禅宗[臨済宗]

日本のおもな宗派

密教系 天台宗
真言宗
浄土宗系 浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系 臨済宗
曹洞宗
黄檗宗

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