◎日本一有名な藤戸石がメイン
◎枯山水あり、池泉あり、蓬莱山あり、鶴島亀島あり、橋あり・・・。日本の庭園の要素がてんこもり。
ゆかりの人物:義演(安土桃山時代の三宝院座主)、豊臣秀吉(スポンサー&基本設計)
創建:平安時代
豊臣秀吉が義演に恩返しした豪華庭園
秀吉と三宝院座主・義演
醍醐寺三宝院は、豊臣秀吉が三宝院座主の義演に恩返しした庭園といえる。
秀吉と義演は、醍醐の花見を開催するほどに深い関係がある。
秀吉が関白に身分を上げる際、義演の出身家・二条家に恩義があったためだ。
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秀吉は設計を行うも、醍醐の花見から5カ月後に亡くなり、その後は義演が秀吉、ねねの協力をえてつくり上げた。
“全部のせ”庭園
一般的に庭園はおおきく2種類にわけられる。
池を中心に周囲に築山、橋などを配置する池泉回遊式庭園。
大きな石、小石で仏教世界をつくる枯山水庭園。
三宝院庭園は両方がある。
書院から眺める手前に枯山水庭園、向こうには池泉回遊式庭園。
池泉庭園には、蓬莱山(仙人がすむといわれるところ)、鶴島、亀島、橋、三段の滝がつくられている。
蓬莱山
鶴島、亀島
橋
高く架けられた橋は下を舟が通れるようになっている。
三段の滝
なかでも一番。藤戸石に注目。形、いわれすべてそろった名石
藤戸石は名石の要素をすべてもっている。
庭の格を上げるためには、枯山水であっても池をめぐる型式であっても、名石が必須だ。
名石とは、石のサイズや形はもちろん岩石の種類、採石地などにおいて個性的であったり、所有者、いわれなどエピソードをもっていたりする石だ。
藤戸石は立ち姿が独特であり、源平合戦にまつわるいわれをもつ最強の石なのだ。
阿弥陀三尊を組み石で表した中心にある。
源平合戦にまつわるいわれとは?
“藤戸”石は岡山県児島半島藤戸ノ渡(今の岡山県倉敷市藤戸町)にあったことからそうよばれる。
児島は源平合戦の際の戦場で、平家がこもっていた。
源氏の佐々木盛綱は児島に渡れる浅瀬を漁師からきき、平氏の攻略に大成功を収めた。
漁師の手柄でもあるが盛綱はこれが露見することを恐れて漁師を殺害した。
盛綱の行いは『平家物語』で武将の鏡と讃えられた。
藤戸石はこの漁師が殺された場所にあったとも、猟師の遺体が流れ着いた場所にあったともいわれる。
この石が児島から京都に運ばれ、室町幕府管領だった細川家の庭におかれた。
これを織田信長が自身が造営した将軍・足利義昭の(旧)二条城に運び、庭石とした〔(旧)二条城はのちに取り壊される〕。
以来、藤戸石を制する者は天下を制すともいわれた。
信長亡き後、豊臣秀吉が聚楽第へ移し、聚楽第取り壊し後に醍醐寺・三宝院に運んだ。
そして、藤戸石の向こうには豊国稲荷大明神(秀吉を祀った社)の祠が設けられている。
賀茂三石
枯山水の庭には賀茂三石が置かれている。
向かって左の石は、加茂川の流れの速い様子、中央の石は川のよどんだ状態、秘儀の石は川の水が割れて砕け散る様子、を表す。
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