新選組は、1863年に結成された壬生浪士組を前身とし、京都を拠点として活動を始めた。
1867年の戊辰戦争に参加し敗北した後、江戸、会津と移動し函館で土方歳三が戦死して解散するまで約4年存在していた。
その間、近藤勇・土方歳三らが組内で敵対する人物を暗殺した事件が2件ある。
・芹沢鴨(せりざわかも)暗殺事件
・油小路事件
この事件に関係する場所は駐屯していた壬生の八木邸、不動堂村屯所からいずれも徒歩圏内にある(まあまあ歩くが)。
芹沢鴨暗殺事件関係
壬生浪士組は、近藤勇・土方歳三派と、芹沢鴨派から成っていた。
芹沢鴨・筆頭局長、近藤勇・局長として運営されていたが、タイプ・指向性の違いにより徐々に溝が深まっていった。
結成から約半年後、近藤・土方派は芹沢鴨暗殺を実行した。
暗殺現場は、新選組屯所の一つ、八木邸。
八木邸

芹沢鴨は暗殺される前、角屋という揚屋(遊女を同席させる宴会場)で宴会し泥酔していた。
八木邸に戻り泥酔して寝込んでいるところを、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助らが襲撃した。
芹沢鴨は斬りかかられ、隣の部屋へ逃げ込んだものの置かれていた机につまづき、そこで止めを刺された。
八木邸の寝室

絵葉書より
逃げ込んだ部屋の鴨居に残る刀傷

絵葉書より
角屋(すみや)

芹沢鴨は1階の奥43畳の部屋で飲んでいた。

八木邸から角屋は約1.1km、徒歩20分くらい。
輪違屋(わちがいや)

輪違屋は置屋(芸者や遊女をとりあつかっている家)。
角屋の宴会にはここから女性が派遣されていた。

島原の門

島原は壬生の花街地区の名称。
遊郭は、京都の島原、大阪の新町、江戸の吉原の順に成立した。
この門をくぐった地区に角屋、輪違屋がある。
油小路事件(伊東甲子太郎暗殺事件)関係
伊東甲子太郎(いとうかしたろう)は藤堂平助の仲介で1865年新選組に合流した。
新選組が幕府第1の立場にたいし、伊東は尊王の立場で対立し新選組は分裂した。
1867年、新選組は伊東を暗殺した。
近藤は伊東を接待して酔わせ、油小路(あぶらこうじ)の本光寺の門前で待ち伏せしていた新選組隊士が襲撃したのだ。
本光寺


この頃、新選組は屯所を不動堂に移していた。
不動堂から本光寺は徒歩約5分。
不動堂村屯所跡碑

山南敬助切腹の部屋
もう一つ、新選組とたもとをわかち脱走するも連れ戻され切腹となった人物が山南敬助(やまなみけいすけ)だ。
山南は初期メンバーで総長の任にあったが、天皇に忠義をつくしたい思いと新選組の方針が合わなくなっていた。
1865年、山南は新選組屯所の一つ、旧前川邸の部屋で切腹した。
旧前川邸は八木邸の向かい側にある。
旧前川邸

