【鞍馬寺】義経伝説、天狗伝説が伝わる鞍馬山の寺

◎京都北部の鞍馬山にある
◎源義経が子どもの頃に修行した
◎宝塔を持たない「鞍馬毘沙門天」【国宝】が安置されている。
◎叡山鉄道鞍馬駅で下車し、仁王門‐本社金堂-貴船神社、とハイキングできる。

ゆかりの人物:鑑禎上人(がんちょうしょうにん)(第1次草創)、藤原伊勢人(ふじわらいせんど)(第2次草創)、源義経
草創:奈良時代(第1次)、平安時代(第2次)

鞍馬寺は鞍馬山にある

鞍馬寺は鞍馬山一帯が境内となっている。

鞍馬山案内地図より

叡山鉄道鞍馬駅で下車し、天狗をみながら進むと仁王門が見えそこからスタート。

叡山鉄道鞍馬駅


本堂金堂まで登り貴船神社へ下っていくルートが整備されている。
距離2.5km、徒歩で2時間弱。ちょっとした登山なので、水は必携。
歩いてみると木々がうっそうとしており神秘的。天狗がでそうな雰囲気がある。
①仁王門から本殿金堂

仁王門

参道


ここから、ケーブルと徒歩に分かれる。
以降は徒歩の場合のポイント。

護法境

  放生池

生き物を放して逃がすところ。
  魔王の滝

  吉鞍稲荷社(よしくらいなりしゃ)

由岐神社


鞍馬寺の鎮守社だった。

義経供養塔


1940年に牛若の住まいの跡地に建てられた。

本殿金堂


鞍馬山信仰の中心道場。
千手観音菩薩、毘沙門天王、護法魔王尊が祀られている。

②本堂金堂から貴船神社

霊宝館

博物館になっていて、毘沙門三尊立像【国宝】、兜跋毘沙門天【重要文化財】が安置されている。要入館料。

木の根道


岩盤が堅く、杉の根が地中深くまで晴れず地表面に張り出している。

僧正ガ谷不動堂


最澄が刻んだと伝えられる不動明王が安置されている。

義経堂


義経の魂は鞍馬山に戻ったとされここに祀られている。

奥之院魔王殿

鞍馬寺の聖地。護法魔王尊が祀られている。

貴船神社

鞍馬山と毘沙門天

鞍馬山毘沙門天の由来

鞍馬寺の本尊は毘沙門天だ。
鞍馬寺の草創と毘沙門天の由来は2段階あって、次のとおり。

第1次草創 奈良時代、唐招提寺の鑑禎上人は、ある夜「明朝よいことがある」とのお告げの夢を見た。朝、巨大な白馬が現れて鑑禎上人は導かれて鞍馬山に登った。ところが、そこで鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられた。
鑑禎上人はこの場所に草庵を建て、毘沙門天を祀った。

第2次草創 平安時代、東寺・西寺の造寺長官であった藤原伊勢人は観音像の安置場所を探していた。夢でふさわしい場所があるとお告げがあり、藤原伊勢人が白馬にしたがって進むと、鑑禎上人が建てた草庵にたどり着いた。
そこには毘沙門天が安置されており、藤原伊勢人は観音像を祀りたかったが、夢で「毘沙門天も観音も根本は一体である」とお告げがあり、納得。
藤原伊勢人は毘沙門堂を改築し、その後千手観音を祀った。鞍を負った馬が連れてきたということで鞍馬山とよぶようになった。

鞍馬の毘沙門天【国宝】


毘沙門天は一般的に北方世界を守り、財宝を守る神。
片手に鉾など、別の手に宝塔をを持っているのが定番。
だが、鞍馬山の毘沙門天は塔を持っておらず、左手を額に当てて南方の平安京を見張っている。
兜に宝珠が掘ってあり、財宝をめぐんでくれる福徳伸であることを表している。
当初、鞍馬山の毘沙門天も京都を守ってくれていることに感謝するという信仰であったが、時を経て福神としての機能に期待する庶民の信仰に変わってきた。
(向かって)右に吉祥天女立像、左に善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像が脇を固めている。

吉祥天は毘沙門天の配偶者、善膩師童子は2人の子どもといわれている。

兜跋毘沙門天【重要文化財】


鞍馬山の霊宝館(博物館)には国宝の毘沙門天以外にも、複数の毘沙門天が安置されている。
そのうち、唐から伝わったという兜跋毘沙門天がある。
兜跋はチベットおよび「長い外套のような上着をつけた」という意味がある。
唐の西方国境に、サラセン(イスラム教徒)の軍隊が攻めてきた際、玄宗皇帝が高僧の不空に祈らせたところ、城の北門楼上に光が輝き兜跋毘沙門天が現れて、サラセン軍を追い払った。
以来、兜跋毘沙門天は外敵の侵入を防ぐ神として安置されるようになった。
平安京の羅城門の楼上にも兜跋毘沙門天が安置されていた。

鞍馬寺と軍事力

鞍馬寺は平安時代末期の源平の争乱時より、自衛のために武装した僧兵を軍事力を備えていた。

鎌倉時代末期、後醍醐天皇の呼びかけに応じた足利尊氏と新田義貞によって鎌倉幕府は倒された。
その後尊氏は後醍醐天皇・義貞と敵対した。
義貞は鞍馬寺に尊氏追討を命じたが尊氏が鞍馬寺を攻めなかったため、動かなかった。
しかし、尊氏が政権をとると鞍馬寺に軍備を禁じた。

鞍馬寺と源義経

源義経とは

源義経は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母兄弟。

源平の戦いで平氏滅亡に貢献したが、頼朝に無断で朝廷から官位をうけたことで逆鱗に触れ、逃亡生活を余儀なくされ最後は自ら命を絶つ。
義経は悲劇のヒーローとして人気を集める。

受けた官位は「判官(ほうがん)」とよばれ、判官といえば義経をさすようになり、不遇の人の肩を持つ「判官びいき」ということばも生まれた。

逃亡の際、諸国を勧進(寄付を募る)する山伏に変装したが、頼朝が設けた関所、安宅の関で足止めされ、弁慶が白紙の勧進帳を読んで切り抜けた。
という場面を演じる歌舞伎の演目「勧進帳」は有名。

義経と弁慶
弁慶は比叡山延暦寺に預けられていた。
怪力で乱暴狼藉三昧で恐れられ、比叡山から追われた。
弁慶は「太刀千本奪い取りの願」をかけ、道行く他人と勝負して太刀を奪い取っていた。
ある日、京都五条天神で義経と出会い、「五条の橋」で999本目の勝負に挑んだ。
弁慶は義経にかなわず家来となる。
義経と弁慶が戦った五条の橋は、現在の五条大橋の1本北にある松原橋付近。
現在の五条大橋には牛若丸・弁慶像が建てられているが、当時はこの場所ではない。

源義経が鞍馬寺で修業することになったわけ

源氏と平氏の戦いの始めは、朝廷の権力争いの戦力として戦った1156年の「保元の乱」。
続く1159年の「平治の乱」で、平氏が源氏に勝利し、源氏の棟梁の源義朝は殺害された。
義朝の息子の頼朝は処刑を逃れ、伊豆へ流された。
一方、異母兄弟の義経は、美貌で評判の母・常盤御前が清盛の気を引くこととなりともに暮らすこととなった。
息子を生かすには出家が条件であったが、義経は幼かったため母とともに暮らしており、7歳になり修験道場の鞍馬山に預けられた。
当時の名は牛若。10年ほど修業し、平氏打倒を期して当時金で栄えていた奥州の藤原秀衡のもとに移った。

鞍馬山 義経ゆかりのポイント

義経供養塔


1940年に牛若の住まいの跡地に建てられた。

僧正ガ谷


ここで牛若が剣法の稽古をしたと伝えられる。

僧正ガ谷不動堂


最澄が刻んだと伝えられる不動明王が安置されている。

義経堂


義経の魂は鞍馬山に戻ったとされここに祀られている。

鞍馬山と天狗

鞍馬寺は天狗の本拠地として知られる。
天狗は平安時代に登場した妖怪的存在。
仏教に敵対する魔物であったが、じょじょに民間で山に住む魔物として認識されるようになった。
山岳で修業する山伏と混同されたのではともいわれる。
鞍馬の天狗の名前は僧正坊といった。
鞍馬山には僧正ガ谷という場所があって、義経はそこで天狗を相手に剣術の稽古をしたという物語も生まれた。

鞍馬山僧正蹊牛孺麿撃刀練磨之図


国宝

毘沙門天三尊立像

重要文化財

兜跋毘沙門天立像
聖観音立像

宗派

鞍馬弘教(←天台宗←真言宗)

日本のおもな宗派

密教系天台宗
真言宗
浄土宗系浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系臨済宗
曹洞宗
黄檗宗

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