【養源院】血天井 関ケ原の前哨戦。伏見城の戦いでの徳川家康忠臣・鳥居元忠らの戦いの跡

◎「豊臣家」と「徳川家」和合の寺
◎茶々〔豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の母。淀殿〕が父・浅井長政のために建立した。
◎茶々の妹・お江が再建した。
◎血天井がある。
◎俵屋宗達の絵がある。

ゆかりの人物:茶々(創建を願う)、浅井長政(養源院は長政の戒名)、お江(再建)
創建:安土桃山時代

茶々-お江姉妹と父・浅井長政

この寺には織田・徳川・豊臣の権力争いに翻弄される妻・娘の悲しみと信念が詰まっている。
戦国時代の陰の主役が大集合しているといえる。

主要な人物

茶々(ちゃちゃ。淀殿)

秀吉の側室であり、織田・徳川を裏切った浅井長政の娘。秀吉の後継、秀頼を生んだ。
浅井長政(あざいながまさ)

織田信長の同盟者。政略結婚で信長の妹・お市と結婚した。
その後、信長と敵対し追い込まれて自害した。
お江 

茶々の妹で徳川2代目将軍の秀忠の正室。
養源院が落雷で焼失した際、再建した。

敵味方となる姉・妹

茶々-お江姉妹と父・浅井長政の家系図(概略)

浅井長政の娘は、姉の茶々が豊臣方、妹のお江が徳川方と敵味方にわかれる運命となった。
分断された、浅井家姉・妹の絆を復活させ、豊臣-徳川を和合させたのが養源院(ようげんいん)だ。

養源院は豊臣-徳川和合の寺院

養源院は茶々が秀吉の側室になった6年後に父・浅井長政の菩提寺として、茶々の願いにより秀吉が創建した寺。
浅井長政の戒名は「帰空養源院殿贈黄門天英宗清大居士(きくうようげんいんでんぞうこうもんてんえいしゅうせいだいこじ)」。
寺名はここから由来している。

秀吉が亡くなると、豊臣方と徳川方の間で権力争いが勃発。
豊臣方は敗れ、茶々と豊臣秀頼は自害した。
茶々と秀頼、茶々の母・お市の方の菩提は養源院で弔われた。
それをとりしきったのが徳川秀忠の妻・お江。

ところがその3年後、養源院は落雷による火災で焼失してしまう。

これを再建したのもお江だ。
以後は歴代徳川将軍の菩提と弔う寺となる。

この再建にはハードルがあった。
養源院を創建したのは豊臣なので、これをお江[徳川方]が再建するのは、いかがなものか、という見方が徳川側に強くあったのだ。

これを解決する方策として考え出されたのが「養源院の血天井」だ。

養源院になぜ血天井があるのか

養源院といえば血天井。
天井に本物の人間の血の跡が残った板が使われている。
これは呪いとかホラーとかそういったものではない。

日本歴史の重要場面が保存されているものだ。

重要場面とは「伏見城の戦い」。

伏見城の戦い

1600年、徳川家康は「関ケ原の戦い」で石田三成率いる豊臣方を破り天下をとる。
しかし、その2カ月前「伏見城の戦い」で徳川方は豊臣方に負けていたのだ。
徳川方の重要拠点であった伏見城に石田三成は攻め込んできた。
伏見城は家康の忠臣・鳥居元忠が守っていたが劣勢となり討たれ、ほかの武士たちは自刃して果てた。

この時の戦いで血まみれになった床が天井に使われている。

伏見城の血の床が養源院に使われたわけ

お江は養源院再建にあたって「豊臣を滅ぼした徳川が、豊臣が建立した寺を再建するのはいかがなものか」という障害を乗り越えなければならない。

そこでお江は、養源院の再建は豊臣家の寺を再建するだけでなく、徳川の英霊を供養するためのものだ、という方針をたてた。
英霊供養として、伏見城の床を踏まれることのない天井に上げること、そしてこの再建は豊臣家でもなく徳川家でもない、お江の私的な事業とする、ということで再建が許されることになった。

はっきりと残る跡

本堂の天井全体、すべてが血天井だ。
解説の方によると、床は、伏見城に並んでいた順番で、天井に復元されているそう。
鳥居元忠が倒れていた姿(頭、武具、足)などの形も残っていると示してくれた。
手のひらの跡もはっきりと見ることができる。

叔父に父親を殺され、姉と敵同士になり、果ては娘を夫が攻撃するという戦国の世で生きたお江の父への哀悼と平和への願いが、豊臣徳川の和合を実現したのだ。

俵屋宗達の画

養源院には、俵屋宗達によってえがかれた襖絵、杉戸絵(木の板でつくられた戸に描かれた絵)がある。
安土桃山・戦国時代の絵師といえば狩野派が大勢だったが、養源院では俵屋宗達が描いている。

お江が支援していた本阿弥光悦の親戚筋で浅井家の家来の家柄であった人物からの紹介によるという見方がある(美術史家・山根有三)。

・杉戸絵 白象や唐獅子、麒麟など珍しい動物が愛嬌たっぷりに描かれている。
血天井の英霊に捧げられている。


・襖絵 岩に老松図
踊るような躍動感をもつ松が描かれている。

徳川歴代将軍の位牌所本堂”松の間”に描かれている。

画像はパンフレット「養源院と障壁画」より

狩野山楽の画

狩野派の山楽の画もある。

・襖絵 牡丹の折花
本堂”牡丹の間”に描かれている。
・羽目板貼付絵 唐獅子
本堂”松の間”の須弥壇に描かれている。
山楽は秀吉によって重用された絵師。


養源院は拝観できる日時が不定期で、インスタグラムで確認したほうがよい。
だが、説明は丁寧でわかりやすく、杉戸絵も素晴らしいので、お薦めしたい。


重要文化財

本堂(客殿)
護摩堂(非公開)
中門(非公開)
鐘楼堂
俵屋宗達「松図」「白象図」「唐獅子図」
ほか

京都市指定文化財

狩野山楽の羽目板貼付絵。唐獅子。

宗派

浄土真宗(もとは浅井家にゆかりの天台宗)

日本のおもな宗派

密教系 天台宗
真言宗
浄土宗系 浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系 臨済宗
曹洞宗
黄檗宗

養源院ホームページ

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