◎豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵した文禄・慶長の役の遺跡。
ゆかりの人物:豊臣秀吉、朝鮮出兵の犠牲者
建立:安土桃山時代
耳塚は供養なのか、力の誇示なのか
豊臣秀吉は朝鮮出兵を行った。
文禄・慶長の役(1592年~1598年)がそれだ。
“戦果”は通常打ち取った相手の首が証拠となるが、朝鮮出兵では首のかわりに耳や鼻を削ぎ塩漬けにしたものが日本に送られるようになった。
耳、鼻の数が戦績となることで女性・子どもまでが犠牲になったという。
これらの耳、鼻を埋めた跡に1597年に秀吉が建立したのが耳塚。
塚は、供養でもあり勝利のデモンストレーションでもあった。