【南禅寺】「絶景かな。」の三門と「虎の子渡し」の庭

◎石川五右衛門「絶景かな。」の三門が有名
◎五山のさらに上の最高位
◎皇室創建の禅宗寺院
◎障壁画が傑作ぞろい
◎小堀遠州の枯山水庭園

ゆかりの人物:亀山法皇、以心崇伝(いしんすうでん)、徳川家康、藤堂高虎
創建:鎌倉時代

南禅寺三門といえば、石川五右衛門「絶景かな。」で有名

南禅寺といえば、まず三門がトレードマーク

通常の寺院では山門だが、南禅寺では三門ともいわれる。
石川五右衛門の「絶景かな 絶景かな」のセリフで有名だ。

石川五右衛門は安土桃山時代に実在したとされる希代の大泥棒。
罪により鴨川の三条河原で釜茹でにされ殺されたことで知られている。

この五右衛門を主役にすえた歌舞伎『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』がある。
名場面が、追手に追われる五右衛門が南禅寺の三門に上り満開の桜をながめながら

「絶景かな 絶景かな
春の眺めは価千金とは 小せえ 小せえ。
この五右衛門が眼から見れば 価万両 万々両」

と感嘆するシーンだ。

南禅寺三門からの眺め


南禅寺の三門はこの舞台として有名なのではあるが、五右衛門が生きた時代は安土桃山時代で、歌舞伎は江戸時代の創作。現在の三門は江戸時代に作られたもの。

現在の三門は、江戸時代、伊賀国の大名・藤堂高虎が大坂夏の陣の戦死者への供養として寄進した。

藤堂高虎はもとは豊臣家に仕えていたが、関ケ原の戦い以降家康の家臣となった。
「築城三名人」の一人ともいわれ江戸城改築などにもかかわった。

南禅寺三門の楼上


扉の内部はお堂で、宝冠釈迦如来などの仏像が安置されている。

禅寺の格付け五山制度の最高位

禅寺には五山制度という格付けがある。
鎌倉幕府が他宗教から禅宗・臨済宗を保護するために設けた制度で、室町時代に確定されていった。
ベスト5とそれのさらに上位の五山の上の6ランクがあるが、南禅寺は五山の上に位置付けられている。

五山制度は中国の制度をとりいれたもので、時の政権の力関係などで恣意的にしばしば改変があり意味付けや経緯は複雑であるが、現在は鎌倉五山、京都五山としてつぎのとおり選定されている。

上位 南禅寺
京都 鎌倉
第一位 天龍寺 建長寺
第二位 相国寺 円覚寺
第三位 建仁寺 寿福寺
第四位 東福寺 浄智寺
第五位 万寿寺 浄妙寺

南禅寺が五山よりも上のわけ

南禅寺はもともと後醍醐天皇によって五山第一に指定された。
ところが後年、足利義満が相国寺を創建した際、相国寺を五山に割り込もうと図った。
寺を一つどうにかしないといけないわけだが、結果、南禅寺は天皇によって建立されのだから「五山のその上」に上げればよいではないか、という解釈が用いられ解決がされた。

南禅寺を建立した天皇とは亀山天皇。

亀山法皇、南禅寺を創建

亀山天皇は「南朝・北朝」と枝分かれするポイントの天皇。

鎌倉時代、後嵯峨天皇の後継を兄と弟で争った。
弟が亀山天皇、兄が後深草天皇。
争いは決着せず、兄系統(持明院統)、弟系統(大覚寺統)が交互に天皇になることになった。

亀山天皇は大覚寺統(南朝)の天皇。

亀山天皇は息子に皇位を譲り上皇になった。
その後対する持明院統が優勢になり、亀山上皇は押され気味となり出家、亀山法皇となった。

南禅寺の元祖・禅林寺殿

亀山法皇は離宮として現在の南禅寺の場所に禅林寺殿を所有していた(「永観堂」の禅林寺とは別」)。

ここに「もののけ」が出没するようになっていた。
加持祈祷を試みたものの効果なく、禅寺・東福寺の大明国師に依頼したところ、見事撃退に成功した。

これをきっかけに亀山法皇は禅宗に思いを強くし禅林寺殿を禅寺とし大明国師に寄進、禅林禅寺とした。これが南禅寺となった。

「南禅寺」名の由来

中国では禅は南宗禅(なんしゅうぜん)・北宗禅(ほくしゅうぜん)が存在しているが、日本に伝わっているのが南宗禅系だということから、亀山法皇が南禅寺と決めた。

南禅院


亀山法皇が寄進した離宮・禅林寺殿の遺跡がある。
それが南禅院。
焼失後、徳川綱吉の母・桂昌院の寄進によって再建された。
庭園は離宮庭園のおもかげを残している。

南禅院 方丈

曹源池


龍の形に作られている。

御陵


亀山法皇の御分骨が埋葬されている。

南禅寺のキーマン以心崇伝

南禅寺は、創建以来火災や応仁の乱で炎上した。

この窮状を救ったのが豊臣秀吉と続く徳川家康、そして復興の実務を担ったのが、以心崇伝(いしんすうでん)。

「黒衣の宰相」以心崇伝

以心崇伝は南禅寺の住職で、若くして頭角を現していらい宗教にかかわる立案や中国、東南アジア、ヨーロッパ諸国、などとの外交に手腕を発揮した。

その実力をかわれ、南禅寺の住職を辞め、1610年に家康の顧問となった。
顧問となってからは側近として、キリスト教の禁止、「禁中並公家諸法度」「武家諸法度」の制定など政治にかかわり家康を助け「黒衣の宰相」ともよばれた。

1614年に起こった「方広寺鐘銘(しょうめい)事件」をもたらしたのも以心崇伝ともいわれる。

「方広寺鐘銘事件」
豊臣秀吉の遺志を継ぎ、秀頼が再建していた方広寺に収める梵鐘に刻まれた文に「国家安康 四海施化 万歳伝芳 君臣豊楽 」とあったことに、家康方が不平を申し立てた事件。
・家と安が分断されており(「国|家|安|康」)、家康を切れば国は安らかになると読める。
・”豊臣を君主として楽しむ”の意味をこめている。
と豊臣を非難した。

方広寺の鐘

問題となった「国家安康」「君臣豊楽」の文字

この解釈を推し進めたのが以心崇伝だといわれている。

これがきっかけのひとつとなって、1915年大坂夏の陣が勃発、豊臣家が滅びることとなった。

以心崇伝の南禅寺復興

以心崇伝は、法堂を新設したり、皇居の建替えで不要になった御殿を南禅寺に寄付されるようにとりはからったり、三門を造営したり(藤堂高虎の寄進)、勅使門などを新造するなど伽藍を整えた。

以心崇伝の自坊、金地院の建造

以心崇伝は南禅寺に自分の住まいの寺院・金地院を整備した。
金地院は南禅寺と合わせて観光したい。

南禅寺の建物

法堂


法堂は、法式行事や公式の法要が行われる場所。
現在の法堂は明治42(1909)年に再建されたもの。

法堂天井の蟠龍図

今尾景年画伯筆

とぐろを巻いている姿が描かれている。

法堂内部


須弥壇上中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像。

大方丈


方丈は禅宗寺院特有の本堂。
以心崇伝のとりはからいで1611年に改築後の仙洞御所の女院御所(皇太后の住まい)の旧殿(ご対面の殿舎)を移築したもの。

小方丈

大方丈の後方に隣接している。
虎の間などからなる。
伏見城から移築された。

本坊

本坊から入って方丈へ向かう。
玄関を入ると韋駄天が祀られている。

韋駄天像


きりっとしてかっこよい。

客間から

東山三十六峰の一覧

龍虎之間


鹿威しが楽しい。

南禅寺の庭園

大方丈庭園「虎の子渡し」 虎の子渡しとは? 遠近法のしかけとは?


大方丈正面の庭園。小堀遠州作の枯山水(水を使わず白砂に砂紋をかたちづくる)。

虎の子渡し

通常の枯山水庭園の石は蓬莱山に見立てるように立てて置かれるが、この庭の石は横にバラバラに置かれている。
こういった手法は「虎の子渡し」とよばれている。

虎の子渡し
中国の故事で「虎が子を三匹生むと、一匹だけ彪(ひょう)になる。
彪は親がいないとほかの子を食べてしまうので、川を渡る際には子を彪と二匹だけにしないように、最初に彪を運び、次に虎の子を運び帰りに彪を連れ帰り、二匹目の子を運び、最後に彪を運ぶ」といったやりくりに苦慮することのたとえがある。

土塀の高さと石の大きさの変化

土塀は奥に向かって微妙に高さが低くなっている。
また、石も奥にいくほど小さくなっている。
これにより遠近感がでてより奥行きがあるように見える。

比較的新しい小さな庭

小方丈庭園「如心庭」


昭和41年管長柴山全慶老師作。「心」の字に石が配置されている。
解脱した心の庭。

六道庭


六道輪廻の戒めの庭。
六道輪廻とは、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観のこと。

蓬莱神仙庭


蓬莱は中国で仙人の住むところで、不老不死の地と考えられている。
神仙は神通力をえた仙人のこと。
南禅寺は古くから仙人の住む良きところとされ、この庭に仙人が住むという。

還源庭


還源(げんげん)は悟りを開くということ。

鳴滝庭


鳴滝の間の前庭。

花厳庭


1984年の作。

南禅寺垣

庭と茶室路地を南禅寺垣がへだてている。

涵龍池龍吟庭


奥の池が涵龍池。

南禅寺の障壁画

南禅寺には狩野派、長谷川等伯らによる障壁画の傑作が多く伝わっている。

大方丈 狩野一門による

柳の間、麝香の間、鶴の間など10の部屋にそれぞれテーマに合わせた画が描かれている。
制作したのは狩野一門。

宮嬪の図【鳴滝の間】

狩野永徳筆

白梅禽鳥図(はくばいきんちょうず)【麝香の間】
二十四孝図【御昼の間】

現在は復元されたものとなっている。

小方丈 狩野探幽による虎の画

「竹林・花木・虎図」をテーマとした襖絵がある。
なかでも、狩野探幽直筆の竹林豹虎図が有名。

特に左側の虎は「水呑みの虎」として名高い。

障壁画画像は、南禅寺パンフレットより

南禅寺の蟠龍図

法堂の天上に龍が描かれている。

とぐろをまいた状態の蟠龍図(ばんりゅうず)だ。

禅宗寺院では法堂に龍が描かれることが多い。
仏の教えを降らせる、火災から護ってくれるなどといわれている。


国宝

方丈
亀山法皇御宸翰

重要文化財

三門
勅使門
聖観世音菩薩
亀山法皇御坐像

宗派

臨済宗

日本のおもな宗派

密教系 天台宗
真言宗
浄土宗系 浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系 臨済宗
曹洞宗
黄檗宗

南禅寺ホームページ

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