【西本願寺】秀吉の極楽浄土の夢がつまった寺

◎もとは織田信長と戦った本願寺
◎「他力本願」の元祖
◎豊臣秀吉が建てた
◎東本願寺は後から分立したもの。

ゆかりの人物:親鸞、織田信長、徳川家康
創建:鎌倉時代
東本願寺として分立:江戸時代

<ここから東本願寺と共通>

西本願寺と東本願寺はもともと「本願寺」という1つの寺

本願寺、東本願寺、西本願寺それぞれの始まり

「本願寺」の始まりは鎌倉時代の1272年に建てられた開祖・親鸞の墓「大谷御影堂」。
1321年に「本願寺」の名になる。

安土桃山時代の1591年に豊臣秀吉が堀川六条に寺地を与え、これがのちに西本願寺になる。
江戸時代の1600年に徳川家康が烏丸六条に寺地を与え、これが東本願寺となる。

本願寺は浄土真宗のお寺

浄土真宗の開祖は親鸞
鎌倉時代にうまれた当時の新興の宗教。
阿弥陀仏を信じる心さえあれば極楽浄土に往生できるという親しみやすい教えで、勢力を拡大していった。

他力本願の元祖。

「他力本願」は浄土真宗、親鸞の教え。

阿弥陀仏は生きとし生けるものを救わずにはいられない。
阿弥陀仏を信じればすべての人が救われる道がある。

という意味。

自分で努力せずに人に頼ってよい結果を望むという意味とは違う。

「悪人正機」は親鸞の有名な思想

「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。
阿弥陀仏は罪深い人を救済することが願いであり、悪人こそが悟りを開く資質を持っているという教え。

本願寺は歴史上大きな戦いを2度経験している

延暦寺との戦い

浄土真宗は庶民に人気の浄土真宗をよく思わない既存の宗派、とくに天台宗から激しい憎悪をうけていた。
本願寺8代門主は蓮如(れんにょ)。
室町時代の1465年、天台宗の延暦寺が本願寺を武力攻撃し、本願寺は焼かれた。
蓮如は加賀に拠点を移し、ここでも大きな政治勢力となっていった。

織田信長との戦い

加賀で力をつけた蓮如は、京都・山科に移った。

戦国時代になると、本願寺10代宗主・証如(しょうにょ)は考え方が似ている一向一揆をとりこみ戦国大名クラスの力をつけた。

1532年証如は山科から大阪の石山に移る。

Google Earthをもとに作成

本願寺は石山でも発展し武装化し、1570年、天下統一をめざす織田信長は本願寺打倒に動いた。
本願寺はこれをうけ信長を攻撃、「石山合戦」となる。

勢力は
本願寺側 雑賀衆、毛利水軍、村上水軍
織田氏側 織田水軍、三好氏

顕如と教如

1580年、第11代門主・顕如(けんにょ)は織田信長の和議に応じた。
しかし、長男の教如(きょうにょ)は徹底抗戦するも明け渡し、石山本願寺は焼かれた。

西本願寺と東本願寺が別々に存在するようになったわけ

豊臣秀吉が西本願寺を保護

安土桃山時代の1591年、豊臣秀吉が堀川六条に土地を与え、本願寺が京都に戻る。
第11代門主・顕如
これがのちの西本願寺。
信長は本願寺を敵としたが、秀吉は逆に保護した。
その理由は、秀吉が往生極楽への願いを強くもっていたことがある。

極楽浄土と「西」へのこだわり

死後、極楽浄土へ導いてくれるのは阿弥陀如来だ。
秀吉の「死」に関係する場所には阿弥陀如来が欠かせない。

秀吉の墓である豊国廟(ほうこくびょう)

豊国廟は、阿弥陀ケ峰(あみだがみね)に建てられている。
阿弥陀ケ峰は名の通り、阿弥陀如来が飛鳥時代の僧・行基によって安置された山だ。
西本願寺
本尊は阿弥陀如来

『京都格別な寺』宮元健次著によると豊国廟と西本願寺の位置には意味があるという。

秀吉は、生前決めていた豊国廟と西本願寺を真西の線で結んだ。
西は極楽浄土のある方向。

そして、豊国廟と西本願寺の間には豊国神社(とよくにじんじゃ)が位置する。

豊国神社は秀吉を神として祀っている。

下地図はGoogle Earth

秀吉は死後、西本願寺の阿弥陀如来に西方にある極楽浄土へ連れて行ってもらって、同時に阿弥陀ケ峰から豊国大明神として再生するというサイクルをつくりあげたのだという。

徳川家康が東本願寺をたてる

家康の秀吉封じ

(西)本願寺は顕如の死後、跡目相続問題が勃発した。
顕如の跡を継いだのが三男、それと争ったのが「石山合戦」の際、徹底抗戦した長男・教如

家康はこの機をとらえて長男教如を第12代門主に立てて東本願寺として独立した寺を設けた。

この場所がえぐい。
秀吉がつくりあげた (西)本願寺―豊国神社―豊国廟 極楽浄土ラインを遮っている。

下地図はGoogle Earth

加えて、徳川3代家光が東本願寺の別庭として建てた渉成園により妨害がさらに強固になっている。
徳川家による豊臣家再生阻止の立地ということだ。

お西さん(西本願寺)と東本願寺

西本願寺は正式名称は龍谷山 本願寺
HPでは「お西さん(西本願寺)」とある。
東本願寺は正式名称は「真宗本廟(東本願寺)
HPでは「東本願寺」とある。
「西本願寺が本願寺なんですわ。後から東本願寺ができたために便宜上「西」となってしまっただけ、自ら西本願寺ということはないんです」という意思がみえる。

西本願寺と東本願寺の伽藍の配置は逆

西本願寺では、南から北へむかって「書院」―「御影堂」―「阿弥陀堂」と配置されているが
東本願寺では、    〃    「阿弥陀堂」―「御影堂」―「書院」と逆になっているのも話題だ。

<ここまで東本願寺と共通>

西本願寺のおもな建造物

御影堂


親鸞聖人の木造が安置されている。

阿弥陀堂


阿弥陀如来の木像、両脇にインド・中国・日本の高僧、法然聖人と聖徳太子の影像が安置されている。

国宝

唐門


桃山時代の豪華な装飾彫刻が施されている。
秀吉の伏見城から移されたものという伝説もある。

国宝

書院


桃山時代の豪壮華麗な書院造様式の代表的なもの。
秀吉の伏見城から移されたものという伝説もある。

能舞台


南能舞台と北能舞台がある。
北能舞台は現存する最古の能舞台。
秀吉の聚楽第から移されたものという伝説もある。
ふたつの舞台をつなぐ「橋掛り」は遠近法が用いられ舞台にたいして斜めに架けられている。

飛雲閣


秀吉の聚楽第から移されたものという伝説もある楼閣。

通常非公開。


国宝

御影堂
阿弥陀堂
書院・能舞台
飛雲閣
唐門

重要文化財

書院・能舞台
総門
御影堂門
阿弥陀堂門
経蔵
太鼓楼
手水舎
御成門
目隠塀
築地塀
大銀杏
本願寺伝道院

宗派

浄土真宗本願寺派

日本のおもな宗派

密教系 天台宗
真言宗
浄土宗系 浄土宗
浄土真宗
日蓮宗
禅宗系 臨済宗
曹洞宗
黄檗宗

西本願寺ホームページ

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