【霊光殿天満宮】菅原道真、徳川家康をまつる神社

◎鳥居に「天下無敵必勝利運」と書かれた扁額がかかっている。
◎御祭神は菅原道真と徳川家康。

ゆかりの人物:菅原道真菅原義郷(道真公の6世孫)、後宇多天皇徳川家康
創建:平安時代

なぜ「霊光殿」なのか。

霊光殿天満宮の始まりは、天皇の命をうけて、菅原道真の6世孫の菅原義郷が1018年に河内国若江(大阪)に神殿を建設したことから。
若江は、菅原道真が901年に京都の朝廷から大宰府(福岡地方)へ左遷された際に、立ち寄った場所とされる。
その後、神告により京都に移設された。

菅原道真はなぜ左遷されたか

平安時代、藤原家が隆盛を誇り政治の権力を握っていた。
一方、菅原道真は藤原の系列ではないが、優秀であったため出世を重ね藤原勢よりも上位の右大臣になった。
これをねたんだ藤原勢が天皇にうその告げ口をし、道真はいわれのない罪をきせられ地方に飛ばされることになった。

この場所は、道真が左遷された時に一条の光が天から下りたと伝わる場所で「霊光殿」とよばれるようになった。
「天満宮」は菅原道真を祭神とする神社のこと。

菅原道真に縁の深い牛もいる

「天下無敵必勝利運」の由来は


「天下無敵必勝利運」は、後宇多天皇が書いた書を写したもの。
後宇多天皇は鎌倉時代の天皇で、在位中に元寇(文永の役、弘安の役)にみまわれる。
その時、天皇は霊光殿天満宮において元を撃退するための祭事を行い、勝利を得た。
これの恩返しにと自筆の書「天下無敵必勝利運」を納めた。

徳川家康が合祀されている

徳川家康祈願

1570年、徳川家康は霊光殿天満宮に天下泰平を祈願した。
この頃は、織田信長が勢力を拡大している時代。
1570年は「姉川の戦い」で織田信長が浅井長政との戦いで窮地に陥っていたところを家康が救い勝利に導いた年。

家康をまつる「東照宮」は全国に100以上

徳川家康の墓といえば、静岡県の「久能山東照宮」、後に改葬された栃木県の「日光東照宮」が有名だが、まつられている「東照宮」は全国で100以上あるといわれている。
霊光殿天満宮もその一つ。


御祭神

菅原道真
徳川家康

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