【二条城】徳川家康が天皇家を牽制するための建物

◎徳川家康が創建した。京都での宿泊施設として。
◎家康が京都御所を牽制するための建物。
◎二の丸庭園は茶人で作庭家の小堀遠州作。
◎障壁画は狩野探幽作。
◎二の丸御殿の廊下は歩くと「キュッ キュッ」と鳴り「うぐいす張りの廊下」とよばれる。
◎当時希少価値のあったソテツが植えられている。

ゆかりの人物:
徳川家康(徳川初代将軍) 創建。
徳川家光(3代将軍) 増築。
徳川慶喜(よしのぶ。15代将軍) 大政奉還。
小堀遠州 作庭
創建:江戸時代

二条城は徳川家康の京都宿泊所

徳川家康は豊臣家との戦いに勝利し、政権を握った。
そして江戸(東京)に幕府を開き、江戸を政治の中心とした。

政治の中心を江戸に移したとはいえ、朝廷の権威は京都にあり、京都は重要な拠点であった。家康は京の宿泊施設として二条城を建てた。

その後、3代将軍家光が増築し、現在の形になった。
増築は1626年、江戸時代最初の天皇、後水尾天皇が行幸した際に行ったもの。
みどころは下記のとおり。

本丸

二の丸御殿【国宝】

二の丸庭園【特別名勝】

清流園


(天守閣は1750年、落雷で焼失)

徳川の威光をみせつける配置

二の丸御殿の一番奥には将軍の寝室がある。
これを「白書院」という。
「白書院」にいくまでは複数の部屋があり、将軍と親密な話ができる者ほど近くの部屋へ行くことができる。

白書院(しろしょいん)

将軍の寝室。
柱が白木のままの造りになっている。

黒書院(くろしょいん)

徳川の親族の大名や、古くから徳川に仕えている大名が対面する部屋。
黒書院は天上の格子、障子の縁などが黒い漆で塗られている。

大広間

将軍が諸大名らに対面した部屋。
将軍が座る場所は一段高くなっていて、全体豪華な造りになっている。
ここで「大政奉還」が行われた。

遠侍(とおざむらい)

来訪者の待合所。

朝廷の権威を奪う建て方

二条城はもともと最初の御所だった場所に重なっている(御所は後に現在の場所へ移る)。

二条城建築前の洛中

古今都細見之圖。内容年代794-不明。画像提供:国際日本文化研究センター

二条城建築後の洛中

京都市街地圖 内容年代 不明。画像提供:国際日本文化研究センター

二の丸庭園

二の丸庭園の池は神泉苑の池の一部をとりこんでいる(二の丸御殿から庭園向かって左の方)。

神泉苑は平安京の裏鬼門(運気の悪い方角)で朝廷の儀式が行われる場所。
これをとりこむことは、朝廷の権威を奪う意図があったとみられる。

本丸御殿

3代将軍・家光が増築。
京都御苑内にあった旧桂宮家の御殿を移築したもの。

小堀遠州作、二の丸庭園

小堀遠州は江戸時代の人気造園家。

二の丸庭園は大変豪華。
大きな石や、形に特徴のある石、色のある石などがふんだんに使われている。これらは全国の大名から寄進されたもので、各地の名石が集まっている。

中央に蓬莱島、向かって右に亀島、左に鶴島が配置されている。
蓬莱は不老不死の仙人が住むところ、鶴・亀は「鶴は千年生き、亀は万年生きる」とされることから長寿を表し、徳川家が永遠に栄える意味がこめられている。

橋が多くかけられているのも特徴的。
2段落ちの滝もみどころ。

大広間、黒書院から眺めるのが最適。

バリエーションに富んだ障壁画

部屋ごとに違う景色

二の丸御殿の各部屋には、その利用法に合わせた意匠の障壁画が描かれている。
◎遠侍
檜や竹、虎
◎式台

◎大広間
巨大な松、鷹、孔雀。
松は不老長寿を、鷹は勇壮さを表す。
◎黒書院

◎白書院
水墨画

狩野派が担当

大広間四の間の松鷹図は狩野探幽作。
大広間一の間、二の間も狩野探幽作。


国宝

二の丸御殿

特別名勝

二の丸庭園

二条城ホームページ

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